芭蕉の推敲(20)

何とはなしに何やらゆかし菫草 芭蕉                            貞享2年3月27日尾張の国熱田の白鳥山法持寺で興行の歌仙の発句。芭蕉は『野ざらし紀行』の旅の帰途、大津から江戸に向かう途中に熱田を訪れ、連衆とともに白鳥山に詣でて三吟歌仙を巻いたという。『熱田皺筥物語』には、「白鳥山」との詞書が付されていることから、当山での嘱目か。具象性に乏しく、観念性が先行した作品に見えるが、日本武尊のゆかりの地である白鳥山に詣でて、日本武尊への崇敬の念を表出するに当たり、西行の伊勢神宮における歌「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」を下敷きにしたものという(尾形仂)。「何とはなしに」の上五は、白鳥山の神域でこそ連衆の間で分かり合える表現だったのだが、作句の場を離れると、一般読者には曖昧で漠然とした表現に見える。

山路来て何やらゆかし菫草 芭蕉                     『野ざらし紀行』では、「大津に至る道、山路を越えて」との詞書を付してこの句形に改案された。初案は歌仙の発句として連衆の前に披露したものの、白鳥山を離れて独立の句としてみたとき、いかにも具象性に乏しく、芭蕉の意には満たなかった。後に(おそらくは『野ざらし紀行』の旅後)、芭蕉は「山路来て」と初案に具象性を加え、京から大津へ向かう山路での作と虚構した。実際に『野ざらし紀行』の旅中にできた句ではないことに留意したい。「何やらゆかし」との初案の暗示的な表現はそのまま残したが、細部を表現しようとするよりも、却って菫草のもつ風情やそれを目にしたときの心の揺らぎが浮かび上がってきて効果的だ。                                   

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