カキノキは東アジア原産のカキノキ科の落葉高木。東アジア温帯地域固有の植物で、日本にも固有種がある。熟した果実は食用とされ、日本では果樹として品種改良が行われ、北海道以外の地域で広く栽培されている。富有、御所、次郎柿などの甘柿は赤く熟したものをそのまま食する。渋柿は干し柿にする。青い実の渋柿からは、防水防腐に使われる柿渋がとれる。

春に渡ってきた燕が秋に南へ帰ってゆくことを「燕帰る」「燕去る」「秋燕」「帰燕」などという。だが、帰って行く燕を目にする機会はあまりない。それまで家の軒先や空や電線に見かけていた燕がいなくなっていることに、ある日気がつくことが多い。
掲句も、竹籠などを売る店先に吊ってある魚籠を見上げながら、最近燕を見かけなくなったとふと思ったことが契機になっている。日差しや風にようやく秋の兆しが感じられる頃だった。平成22年作。
麦の穂を力につかむ別れ哉 芭蕉 元禄7年5月、芭蕉は江戸を立って最後の旅に出た。川崎まで送ってきた利牛、野坡ら門人たちと二タ時ばかり(4時間ほど)の離別の宴をはったという。折から麦秋の時節に当たっており、掲句はそのときの留別吟。なお、「留別」は、旅立つ人が後に留まる人に別れを告げることで、「送別」は、逆に後に留まる人が旅立つ人に別れを告げること。『陸奥衛』に収められている真蹟懐紙には、この句形に「元禄七、仲夏のころ、江戸を出で侍りしに、人々送りけるに申し侍りし」との前文が付されている。「力につかむ」との措辞には、送る者、送られる者双方の感情の高まりの中で足元定めがたいのを、麦の穂を掴んでやっと身体を支えているといった情景が彷彿する。『別座敷』や『炭俵』には、送別する側の作品(餞別吟)として、 落着の古郷やちやうど麦時分 杉風 麦畑や出抜けてもなほ麦の中 野坡 などが掲載されており、掲句はそれらの餞別吟への返しとして作られた。尾形仂が言うように、これらの餞別吟、留別吟は、麦という詩材を媒介にした連衆心の交響ということができるだろう。
麦の穂を便につかむ別かな 芭蕉 初案の「力につかむ」を「たよりにつかむ」と改案したのが掲句で、『芭蕉翁行状記』所収。同書には「五月十一日江府そこそこにいとまごひして、川がやどせし京橋の家に腰かけ、いさとよふる里かへりの道づれせんなと、つねよりむつましくさそひたまへとも、一日二日さはり有とてやみぬ。名残惜げに見えてたちまとひ給。弟子ども追々にかけつけて、品川の驛にしたひなく」との前文がある。句意に大きな変化はないが、「たより」には「力につかむ」のような力みはなく、より心理的な陰影が感じられ味わい深い。老病に苦しむ芭蕉の弱々しさも表れているようだ。
イチョウやナラ、クヌギ、プラタナスなどの落葉樹の葉が、秋に黄色に変わること。赤い紅葉と黄色い黄葉は、ともに秋の山野の錦を彩る。
