芭蕉の推敲(6)

名月や児立ち並ぶ堂の縁 芭蕉                 元禄3年8月15日、義仲寺の草庵に会した門人らと月見をした折の作。謡曲『三井寺』には、住僧が弟子を連れて講堂の庭での月見に出る場面があり、芭蕉の発想の契機はその辺りだろう。また、旅中の芭蕉には、寺院に預けられている剃髪しない少年修行(稚児)を見かける機会もあっただろう。このような稚児は、寺という男性社会における女性的な存在だったといわれる。いずれにしても、芭蕉は、自らの想像力や旅中の見聞を駆使して、名月を前に立ち並ぶ稚児を思い描いた。

名月や海に向へば七小町 芭蕉                       この再案も、前掲の初案とは趣向を変えながらも、やはり幻想美を求めた句。名月に照らし出された琵琶湖の景色が、月の位置によって刻々と趣を変えるさまに、小野小町の七変化の姿を思い寄せた。なお、七小町は、小野小町の伝説に取材した七つの謡曲の総称。才色兼備の若い小町から老いて落魄した小町まで、それぞれに脚色される。

名月や座に美しき顔もなし 芭蕉                    前掲の2句に飽き足りなかった芭蕉が、虚構の作為を現実に引き戻して治定したのがこの形。「座に美しき顔もなし」は、名月の美しさから我に返り座を見回したときの一瞬の感覚が捉えられている。この句に定まる前の句形として                    月見する座にうつくしき顔もなし 芭蕉              が伝わる。「月見する」のさり気ない表現を取るか、「名月や」の句がらの大きさを取るかは、鑑賞者によって評価が分かれるところだが、芭蕉自身が「名月や」の形に治定していることから、私もそれに従いたい。

以上の初案、再案、最終形は、いずれも元禄3年8月の中秋の名月に際しての作である。改作の順序や経緯は、元禄9年刊行の風国編の『初蟬』に記されている。幻想から現実に引き戻されたときの一瞬の感覚を捉えたところなどは、実作者の参考になるだろう。

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