ブナ科の落葉高木で、日本各地の日当たりの良い山地、丘陵などに自生。山野に自生する原種は柴栗又は山栗と呼ばれ、栽培品種はこれらに比べ実が大粒である。栗の実は夏以降、刺のある毬に包まれて生長する。毬は初め淡黄色をしているが、成熟するにつれ褐色になり、裂け目が生じ実が弾けて落ちる。実は古くから食用にされてきた。柿と並んで、日本の数少ない在来果樹の一つ。

雨宮更聞氏の自選自解句集『時習』を読んでいて、「(着流し姿の)こんな寛いだ姿も印象深いが、正装で出掛ける時の凛々しい姿にこそ、蛇笏と云う俳人の全てがあった様に記憶する。」との一文に目が留まった。雨宮氏は蛇笏、龍太父子と同じ集落(山梨県旧境川村小黒坂)の住人であり、生前の両師に近くで接してきた俳人である。氏のこの一文は、蛇笏の人となりや句風をよく言い当てているように思う。 ゆかた着のとけたる帯を持ちしまま 蛇笏 蛇笏にはこのような寛ぎの気配を感じさせる句もあるが、やはり本領は次のようなきりっとしたタテ句だろう。 極寒の塵もとゞめず岩ふすま 蛇笏 芋の露連山影を正うす 〃 「芋の露」の句の「正うす」は、秋たけなわの連山の形容であるとともに、蛇笏の心の姿でもあった。そして、蛇笏の希求した心の姿が生涯をとおして 変わらなかったことは、 誰彼もあらず一天自尊の秋 蛇笏 に至る戦後の作品を見ても明らかだろう。
かつて山本健吉は、蛇笏の句を評して、「彼(蛇笏)にあっては、姿を高く正しく保とうという欲求の熾烈さが、いささか自由さをそこなっていると思われる。」と書いた(『定本現代俳句』)。確かに、蛇笏にも、 薔薇園一夫多妻の場をおもふ 蛇笏 など、発想や連想の豊かさを感じさせる句はあるが、例えば 天の川わたるお多福豆一列 楸邨 にみられるようなユーモアや諧謔には乏しい。それは戦後逆縁の悲しみの中にあったこととも無関係ではないが、やはり蛇笏の本来の資質がタテ句にあったことが大きいだろう。
これに対して龍太はどうか。龍太の俳句観は、「私は、・・・俳句は、いわば普段着の文芸と考えている。」(『普段着の文芸』)との件に端的に表れている。実作では、 露の夜は山が隣家のごとくあり 龍太 涼新た傘巻きながら見る山は 〃 など家居の寛ぎを感じさせる諸作がある。そして、龍太が、『おくのほそ道』のなかで最も好きな句として挙げているのが、 文月や六日も常の夜には似ず 芭蕉 であることにも、龍太のこの俳句観の反映を見たい。『おくのほそ道』には、「文月や」の句のすぐ前に、かの高名な 荒海や佐渡によこたふ天河 芭蕉 が出ている。「荒海」が正装の句だとすれば、「文月」の句は普段着の句といえるのではないだろうか。
揚羽蝶にはキアゲハ、クロアゲハ、カラスアゲハなどがあり、夏の激しい日差しの中や木立の中で飛ぶ様には躍動感がある。
掲句は、映画の字幕の裏側を揚羽蝶が通り過ぎたという、映画の中の一コマとも読めるが、おそらくは作者の幻想だろう。揚羽蝶には異界から来たような妖しい雰囲気があり、そのイメージが掲句の内容を活かしている。現実と幻想が交錯する作品だ。『俳句』2023年9月号。
秋になって露が一面に降りて、草木が時雨の降った後のようにしとどになっている状態。また、草木にたまった露の雫が風などでぱらぱらと落ちて、まるで時雨の降るような音を立てることをもいう。なお、時雨は晩秋から初冬に降る木々を色づかせる雨のこと。

その年に新しくできた松毬(松の実)のこと。鱗片がびっしりと隙間なく詰まり、青々として匂いたつようだ。やがて松ぼっくりとなって熟すと、鱗片が開き種がこぼれる。
