送られつ送りつ果ては木曽の秋 芭蕉 名古屋の門人たちの送別に応えた留別吟。『阿羅野』巻七「旅」の部に「留別四句」との前書きを付して収められている、その中の一句。貞享5年8月11日、芭蕉は越人を伴って美濃より更科への旅に出た。この句で、芭蕉が送ったのは上方に赴く野水で、野水を送った芭蕉自身が、今度は名古屋の連衆に送られて旅立つ。会者定離の世の寂寞がこめられている。留別吟としてこの句ができたとき、「木曽の秋」は、これから辿る木曽路を思い描いての措辞だった。すなわち、これまでもこれからも、「送られつ送りつ」しながら漂泊の旅が続くだろう、そしてその果てに「木曽の秋」の寂しさを味わうだろうとの句意だ。貞享4年10月に江戸を立って以来の長い旅程を改めて顧みている趣もあろう。「果て」の一語に、行脚漂泊の境涯の身の行く末を思う心が揺曳している。特に、「送られつ送りつ」のリフレインが、離合集散の繰り返しの中に経過していく旅の時間の流れを感じさせるところがいい。
送られつ別れつ果ては木曽の秋 芭蕉 (元禄2年以降の執筆と考えられている)『更科紀行』に収めるに当たり、紀行全体の趣に合わせて改案したのがこの形。紀行の末尾に近いところに他の句と並んで収められており、「木曽の秋」を眼前のものとして味わうことになる。「名古屋連衆との留別の場を離れては、「送りつ」が無意味なものとなるので、「別れつ」と改めざるをえなかった」(尾形仂)事情はあるにしても、一句としてみたときはこの改案は原句のよろしさを半ば失わせてしまっている。