幾たびも末世のありし桜かな 髙野公一

ソメイヨシノは寿命が六十年とも七十年ともいわれるが、山梨の山高神代桜の推定樹齢は二千年、岐阜の根尾谷淡墨桜の推定樹齢は千五百年など、エドヒガンザクラの中には千年を超える樹齢の名木が各地にある。

掲句は、千年を超えるような樹齢の桜を想定したい。 末世は本来仏教用語で、仏法が衰え、修行もすたれた末の世のことだが、現在の地球上で生起している国家間の戦争、侵略、自然災害、個人による凶悪な犯罪などを思うとき、誰の胸の中にも末世という言葉が思い浮かぶのではないだろうか。同様に、先の太平洋戦争下を生きた人々も、明治維新前後の混乱を生きた人々も、それぞれの生きた世の中を末世と観じていたのではないだろうか。そして、そのような幾多の末世を経ながら、人の世の転変を見守ってきた桜の古木が、春になると忘れずに花を咲かせているのだ。『俳句』2023年7月号。


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