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俳句の庭

  • 大悪人虚子忌の椿真くれなゐ 角谷昌子

    4月 3rd, 2023

    「虚子忌」は、俳人高浜虚子の忌日で、4月8日。虚子といえば、近現代の俳句の源流をなす人であり、歳時記には多くの「虚子忌」の句が掲載されている。

    掲句は、一読、〈初空や大悪人虚子の頭上に 虚子〉が思い浮かぶ作品であり、本歌取り的な手法がとられているといっていいだろう。自らを「大悪人」と称して憚らなかった虚子という人の生涯や作品のもつ図太さを、この虚子の句はよく表しているが、その「大悪人虚子」を偲ぶかのように、椿が真っ赤な花を咲かせているのだ。俳句のような短詩型の世界でも、今、虚子の図太さを必要としているのかも知れない。『俳句』2023年4月号より。

  • 魚は氷にのぼり真上に風の渦

    3月 31st, 2023

    「魚氷に上る」は七十二候の一つで、立春の第三候。2月の中旬頃に当たる。暖かさでそれまで張り詰めていた氷が割れ、魚が氷の上に躍り出るという。多分に空想を含んだ季語だが、空想だけではない、実景の裏付けが感じられる。ワカサギ釣りなどでは、こうした情景を目にすることもあるのではないか。氷の上に跳ねる銀鱗は眩いばかり。折りから吹き過ぎる風の光も、明るさと冷たさを同時に感じさせて早春のものだ。

    掲句は、この季語が描き出す情景をあれこれと想像していて生まれた作品。時々訪れる長野の結氷湖の光景も、その時思い浮かべていたと思う。平成22年作。

  • 寝付くまで蛙の国の端にをり 若井新一

    3月 31st, 2023

    水を張った一面の田で蛙が鳴き始めるのは晩春の頃だ。蛙たちの雌を求める声は、遠い蛙、近い蛙と声が重なり合い入り交じり、ひとつの声の塊となって作者の枕元に迫ってくる。いつ果てるとも知れないそれらの声の中で、いつか眠りにつく。自然と人間の営みが融合した心豊かな世界だ。

    掲句はそのような情景を「蛙の国」と表現した。そこには、人間中心ではない、自然の運行に人の生活を順応させていくことを是とする自然観が窺える。『俳句』2023年4月号より。

  • 桜東風母の歳月わが月日

    3月 30th, 2023

    「桜東風」は、桜が咲く頃に吹く東寄りの風のこと。この時季、気温のアップダウンはあるが、肌に触れてくる風の柔らかい感触はやはり春のものだ。そして、どこを歩いても、間近に、また、遠方に咲く桜が目に入らない場所はない。風そのものが、桜の明るさを帯びているようにも思える。

    掲句は、母に付き添って病院に連れて行ったときの作品。日頃は妻が付き添うのだが、その日はたまたま私が病院まで一緒に歩いて行った。手をつなぐのは照れ臭かったので、私が前を歩き、ときどき遅れてくる母を振り返った。途中満開の桜が、やや強めの風に花びらを飛ばしていた。その時は、半年後、母がこの世を去るとは、思ってもみなかった。平成31年作。

  • 囀に合わせ歩幅をゆるめたり 宇多喜代子

    3月 30th, 2023

    春の繁殖期を迎えると、鳥たちは梢などで求愛の声を奏でる。四十雀などは、夜明けを待ちかねたように、二、三羽が、別々の梢で一斉に鳴き始める。彼らにとって、「囀(さえずり)」は、求愛であるとともに、縄張り宣言でもあるのだろう。冬の間は藪などにひそんで餌を漁っていた鳥たちが、人の目も怖れず、木の天辺に姿を現す。

    掲句は、ゆったりとしたテンポの「囀り」に合わせて歩幅を緩めたという。作中で多くのことを語っている訳ではないが、自然とともにある日常や春が巡ってきた喜びを、無理のない言葉で、さり気なく、しかし、確かに語っている。『俳句』2023年4月号より。

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