花の盛りを過ぎて、散り残っている桜のこと。桜は一気に満開になった後、花数を徐々に減らしながらも、暫くは散り残っている。盛りの花の印象を目に焼き付けたまま、残花を前に、今年の桜の名残を惜しむ。だが、そうした日々も忽ち過ぎて、葉桜の季節を迎える。

花の盛りを過ぎて、散り残っている桜のこと。桜は一気に満開になった後、花数を徐々に減らしながらも、暫くは散り残っている。盛りの花の印象を目に焼き付けたまま、残花を前に、今年の桜の名残を惜しむ。だが、そうした日々も忽ち過ぎて、葉桜の季節を迎える。

源(木曽)義仲の忌日は陰暦1月20日。陽暦では2月半ば~下旬に当たる。寿永3年1月、源範頼・義経の率いる鎌倉軍との宇治川の戦に敗れ、近江国粟津で討ち死にした。
掲句は、手に持っていた傘で、池の浮氷を突くという散歩途中のさり気ない自分の動作を思い返していてできた作品。「義仲忌」と取り合わせたことで、少年に戻ったような私の他愛のない動作も、句の素材になり得たのだろう。なお、義仲に関しては、松尾芭蕉がその悲運の生涯に思いを寄せていたことが、思い起こされる。『春霙』所収。平成20年作。
落葉樹は、春から夏にかけて芽を広げて瑞々しい若葉となり、秋から冬にかけて紅葉・黄葉となって散っていくが、竹は3月から4月にかけて葉や幹を黄ばませる。地下茎で繋がっている筍に栄養分を取られるためだ。「竹の秋」は、このような状態の竹のことを指す春の季語。陰暦3月の異名でもある。黄ばんできた竹は、初夏にかけてしきりに葉を散らす。筍が土中から先端を覗かせるのもこの頃だ。

「卒業」は、所定の学業を修めて学校を去ること。幼稚園から大学・大学院まで、上級の学校に進むたびに、それぞれの段階の締め括りとして卒業があり、卒業式はたいてい3月に行われる。一つの学業課程を終えることができた安堵感・達成感とともに、将来への希望や不安、級友や先生との別れなど、様々な感情が入り混じる。
掲句は、子が小学校を卒業したときの親としての安堵感を詠んだもの。庭先の辛夷の花びらを啄みに来た鵯を眺めていてできた句だったと記憶している。3月になると、梅に始まり、辛夷や椿、桜などが次々に咲き、人間のみならず、鵯にとっても好適な季を迎える。佳き季節を迎えて上機嫌の鵯が鳴きながら家々の庭を毎日のように巡っている。平成17年作。句集『春霙』所収。
「桜」は、春咲く花の代表というだけでなく、四季を通じて、日本の花を代表する言わば「花の中の花」。野生種,人工種など、その種類も多い。散り急ぐ風情もいいが、開花し始める頃の初々しさも格別だ。爛漫と咲き盛る日中の桜だけでなく、朝桜、夕桜、夜桜も、それぞれ風情がある。桜が咲く時季になると、公園や庭、山野などに、こんなにも桜の木があったのかと、改めて驚かされる。桜が咲いている間は、戸外を歩いていても桜に目を奪われてしまい、桜の時季が過ぎて、土手草や木々の芽が日々緑を濃くしていたことに気づくことになる。
