かつて飯田龍太が〈白梅のあと紅梅の深空あり〉と詠んだ「深空」(みそら)は、冬から春先に梅が咲く頃までの深々とした青空であり、春が深まるにつれて、常に薄雲がかかったような空となる。また、澱のように漂っている薄雲が、徐々に分厚くなってきて、いつしか空全体を覆って雨を降らすこともある。春は天気の移り変わりが早い。

かつて飯田龍太が〈白梅のあと紅梅の深空あり〉と詠んだ「深空」(みそら)は、冬から春先に梅が咲く頃までの深々とした青空であり、春が深まるにつれて、常に薄雲がかかったような空となる。また、澱のように漂っている薄雲が、徐々に分厚くなってきて、いつしか空全体を覆って雨を降らすこともある。春は天気の移り変わりが早い。

「野焼」は、手元の歳時記に初春の季語として掲載されているが、「葭焼」(よしやき)はその傍題として扱っていいだろう。土地を肥やし害虫を駆除して、新しく生えてくる葭などの草の生育を促す効果があるという。
掲句は、渡良瀬遊水地に葭焼きを見に行ったときの作品。火入が行われると、野を渡ってくる風に、高々と火が立ち上がり、また、吹きちぎれた。火入前には晴れわたっていた空が暗くなるほど、葭焼きの煙が立ち込め、身体や衣服に煙のにおいが沁み付いた。焼畑農法の昔から続いている人と自然の関わりを思い浮かべた。平成21年作。『春霙』より。
「蓬摘」は「摘草」の傍題。夏には繁茂して猛々しい姿になる蓬だが、春、土手や田圃の畔などに萌え出た姿は可憐だ。蓬を摘んでいた指先には、摘んだ後も香しい匂いが残る。春の大地の命が凝縮したような匂いだ。餅に搗き込むと、空よりも鮮やかな真っ青な草餅ができあがる。
掲句は、「蓬摘」をしていて、指先が勝手に動いてしまう忘我の状態を句にした。自然に溶け込んで時の経つのも忘れる至福の時間がそこにはある。『俳壇』2023年4月号より。
オオシマザクラ系のサトザクラで、江戸中期以前に人の手によって作られた人工種。淡黄緑色の花色が、ウコンの根茎を使って染めた色(鬱金色)に似ていることからこの名が付けられたといわれている。咲き始めは文字どおりのウコン色(薄緑色)だが、徐々に白っぽくなり、最後は紅を微かに含むようになる。「桜」の傍題。
下の写真は、近所の川べりに咲いている何本かの一つで、ソメイヨシノが咲き終わった後、見頃を迎えている。

春になると、肌に触れる風の感触が変わってくる。冬の間に吹く北風の尖った感じとは異なり、どことなく人に優しく触れてくる風に、春の到来を実感する。陽の光も強くなり、風が光ると感じられる瞬間が確かにある。
掲句は、「点睛の一語」を見出した表現者としてのささやかな幸福感を句にしたもの。俳句を作り続けていると、一通りできているが、どこか物足らない作品ができることがあり、決め手になる核心の一語が定まると、句が、見違えるように精彩を帯びてくることがある。「点睛の一語」は、そのことを言ったもの。折りから、春の柔らかい風が、五体を吹き過ぎて行った。平成19年作。『春霙』より。