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俳句の庭

  • かげろへるかたちそのまま火焔土器

    4月 19th, 2023

    「陽炎」(かげろう)は、麗らかな春の日差しの中で、野中のもののかたちが揺らいで見える現象。空気の層によって温度差が生じ、光が屈折することから、人の目にものが揺らいで見えるのだ。陽春の気分をたっぷり含む季語だが、人の知覚の不確かさ、ひいてはこの世に存在するものの不確かさを暗示する言葉でもある。

    掲句は、とある博物館で展示されていた火焔型土器のレプリカを見ていてできた作品。火焔型土器は、縄文土器の一種で、 燃え上がる炎を象ったかのような形状の土器。外光の差し込まない博物館の一室にいて、ガラスケースの中に置かれたその土器を前にして、ふと戸外の麗らかな日差しを思い浮かべ、そのような日差しの中で煮炊きしている縄文人たちを想像した。平成28年作。

  • 茶摘時

    4月 19th, 2023

    茶摘みの最盛期は、ゴールデンウィークを挟んで前後の1~2週間。その頃摘んだものが一番茶で、俳句で「茶摘時」といえばその時期を指す。新芽が出る頃の茶畑は、萌黄の絨毯を敷き詰めたように美しい。その明るさの中を、四、五人の茶摘女たちが、向かい合いながら黙々と摘み進んでいく。茶園の生垣に新茶の幟が立つのもその頃だ。ただ、近年は、一部の高級茶を除いて、機械刈りが一般化してしまったので、かつての茶摘みの光景を目にすることは稀になった。また、かつては一番茶の後、6月下旬から7月上旬に二番茶、7月下旬から三番茶が摘まれていたが、近年は廃れてしまった。

  • 霾や壺の梅干し塩噴いて

    4月 18th, 2023

    「霾」(つちふる)は黄砂が降ること。日差しはありながらどことなく空が濁っているように感じられる日、自動車の車体や物干し竿にうすうすと黄砂が積もっていることがある。そんな日は、どことなく気分も鬱陶しい。実景を写生する場合のほか、陰影のある複雑な心の内を暗示しようとする場合に、この季語が用いられることもあるようだ。

    我が家には、父が遺した梅干が何壺かある。月日の経過とともに塩を噴いて、普通に食べるには塩辛過ぎて向かないし、黒々として食味をそそるものではないが、夏などにご飯に混ぜて炊くと、仄かな梅干の香りに食欲が増すような気がする。なお、この梅干は20年以上前に父がつくったものだ。父は、中国大陸に出征した経験を家族にほとんど語ることがなかった。平成20年作。『春霙』所収。

  • 落花

    4月 18th, 2023

    桜の散っていく様は、日本人の美意識に訴えるところがある。花吹雪の中で、心は日常から離れ、万物が生滅を繰り返すこの世のことを思っている。そして、一つ一つの花びらは、天地の流転の中に投げ込まれる。水に散った花びらは忽ち流れ去って眼前から消えるし、地に散った花びらは、そこに散り溜まったり、風に吹き寄せられたりする。地に溜まっていた花びらも、数日の間に土に還って目につかなくなる。

  • しらうおや灯の入る前の店に酌む 山田真砂年

    4月 18th, 2023

    「白魚」はシラウオ科の硬骨魚で体長10cmほど。春を告げる魚として知られ、「白魚」「白魚飯」「白魚汁」「白魚鍋」等はいずれも春の季語。

    掲句は、小ぢんまりとした店のカウンター席の前に「しらうお」を使った料理が並んでいる場面を想像したい。春の一日は中々暮れようとしない。作者は、暮れるのを待ちかねて、まだ客の疎らな店内で、白魚鍋などを肴に酒を酌んでいるのだ。そこには、何事にも束縛されない自由を愉しんでいる気分があるだろうし、旅先の解放感もあるのかも知れない。昼の酒には、一抹の後ろめたさも混じるのだが・・・。『俳壇』2023年5月号より。

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