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俳句の庭

  • 龍太俳句と「かるみ」(1)

    4月 26th, 2024

     尾形仂の『巧者の芸境』は、芭蕉の晩年に至るまでの課題であった「かるみ」について、明快かつ平易に論じている。

    「このころから芭蕉の作品には、平俗な日常生活の中に詩を求め、それを日常のことばで表現しようとする姿勢が目立ってくる。」

    「いっさいの芸術的ポーズを捨て去った率直な態度で日常生活の中に詩を探り、それを日常のことばで表現しようとした・・・」

    「〝かるみ〟とは外から見た場合には句体の問題であり、内から見た場合には句法の問題であり、そして最も本質的には詩心の問題であるといえる。」

     以上のように、尾形氏は、「かるみ」を論じるからには、その文章においても、「かるみ」の趣旨を体して晦渋を避け、平易を心掛けているようだ。

     芭蕉の発句のうち「かるみ」を体現していると一般的に言われているのは、

    鶯や餅に糞する縁のさき            芭蕉

    塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店       〃

    寒菊や粉糠のかゝる臼の端        〃 

    などである。 

     第一句は、鶯が、縁先に干してある餅に糞を落して行ったとの庶民生活の中の平俗な日常の一齣を句にしたものである。

     第二句は、

    声かれて猿の歯白し峯の月           其角

    と対比させて、自らの志向を明確に示した作である。其角の句が奇想を前面に出した句柄であるのに対し、この句は「歯ぐきも寒し」との感覚の鋭さを、「魚の店」の市井の日常の景の中に包み込んだ。

     第三句は、農家の前庭などでの餅搗きの情景であろうか。臼の端に粉糠がかかっているささやかでありふれた光景が、寒菊の風情をよく活かしている。

     前述の尾形氏の文章や芭蕉における「かるみ」の代表句とされる掲出の諸作を読んでいて、自ずから思い出されるのは龍太の次の句である。

    涼新た白いごはんの湯気の香も(昭和53年)

     「ごはん」は毎日のように食卓に上がるものであり、炊き上がったその湯気の芳しさは日本人の誰にも好ましいものであろうが、余りにも日常身近にある素材であり、ほとんどの人は、敢えてそれを句に詠もうとはしないだろう。そのような日常の些事の中に作者は詩因を見出した。この句から見えてくるのは、作者の「平俗な日常生活の中に詩を求め、それを日常のことばで表現しようとする姿勢」であり、龍太における「かるみ」への志向である。

    浴衣着て水のかなたにひとの家(昭和40年)

    どの子にも涼しく風の吹く日かな(昭和41年)

    子の皿に塩ふる音もみどりの夜( 〃 )

    熱き湯に水さす春の夕餉どき(昭和42年)

     掲出の第一句は句集『麓の人』に収められており、第二句以下は『忘音』所収の作品である。龍太における「かるみ」への志向が、この時期に胚胎したことを示す諸作だろう。また、これらの作は、龍太俳句における「かるみ」が、故郷における自適の日常のくつろぎと不可分のものであることを示している。

     句集『忘音』は、母を亡くした後の重心の低い鎮魂の詩情が作品の主調音をなしているのであるが、他方で、土着者の日常にあってのくつろぎの詩情と結びついた「かるみ」の諸作が、句集の一つの柱になっていることは否定できない。

     そして、これまで「定住と旅心」で述べたように、この時期以降、旅吟においても、「かるみ」の作が龍太の作品を特徴づけるものとなった。

     『龍太語る』には、「詩の本質は、飾らない心が素直に言葉になることではないか。」と述べた件がある。「かるみ」において重要なのは、結局は作者の心であることを端的に語ったものだろう。

      尾形仂が、前述の『巧者の芸境』の中で、「かるみ」は「自己の様式・技法を確立した巧者の芸境」であって、能や書など日本の芸道に共通して見られる特色だと説いているように、「かるみ」は芭蕉に限った特色ではない。

     龍太の作品が、句集『忘音』以降、「かるみ」の特色を帯びるようになったことは前述のとおりだが、他の俳人、例えば、石田波郷の作品についてみても、句集『惜命』以降の作風が「かるみ」の傾向を帯びたものであることを、ここでは指摘しておきたい。

     「かるみ」の句風に至った龍太固有の事情としては、句集『忘音』において句法・句体に一応の完成をみたこと、故郷との和解を経て、定住、土着をプラス思考で捉えられるようになったことなどが挙げられよう。

  • 花びらの水先立てて虚子忌来る  岩淵喜代子

    4月 26th, 2024

    俳人高浜虚子の忌日は四月八日。昭和34年のこの日85歳で死去した。丁度仏生会に当たる。

    掲句は「花びらの水」を先立てて巡って来る虚子忌を詠む。折から桜が盛りを過ぎて散り急ぐ頃。「花びらの水」は、花びらを含んだ水というほどの意味。一面に落花が散り敷いたところに水を打つと、水は花びらを含みながら地面を流れ出す。或いは花びらを浮かべて流れる小さな川を想定してもいいだろう。「先立てて」との措辞のもつ空間と時間の両面の意味合いが活かされている一句。『俳句』2024年5月号。

  • 黐の花

    4月 26th, 2024

    黐(もち)はモチノキ科の常緑小高木で暖地の山中に自生するほか、庭園などに植えられる。雌雄異株で、晩春初夏の頃淡黄緑色の四弁の小花を密生する。晩秋、球状の果実が紅熟する。

  • 葱坊主

    4月 26th, 2024

    葱(ねぎ)はユリ科の多年草。葱は通常花の咲く前に収穫されるが、採種用に畑に残された葱は、晩春の頃太い茎の頂に無数の白色花を密集して球状に咲かせる。これが葱の花で、遠目には坊主頭のように見えるので、葱坊主ともいう。

  • 定住と旅心(3)

    4月 25th, 2024

    龍太は、芭蕉や蛇笏と旅との関わりについては度々書いているものの、自身にとって旅はどのようなものだったのかについてはほとんど何も語っていない。したがって、龍太における旅の在りようについては、旅中の作品や、「旅吟の旅先に行ったら、他郷は故郷のごとく詠え。」、「旅吟となると、・・誰もが見、誰もが感ずるにちがいないかもしれないが、今の印象としては、これ以外に言い現す手だてはないと思い定めたとき、作品に光がさす。」などのいわゆる龍太語録から読み取ることになる。これらの語録は、龍太にとって、旅が、蛇笏の場合とは異なったものだったことを窺わせる。

     以下では、龍太の旅吟を鑑賞する前に、定住する故郷にあっての蛇笏、龍太の日常詠における詩情の質の違いをみておきたい。

    春めきてものの果てなる空の色        蛇笏

    いきいきと三月生る雲の奥            龍太

     掲出句は、いずれも昭和28年作であり、故郷にあって春の到来を詠った父子による競作の感がある。両句とも、長い冬を経て春を迎えた山国人の喜びがのびやかに表出されているが、蛇笏の視線が、遙か彼方の「ものの果て」に向けられ、自ずから旅や遥かなものへの憧憬が表れているのに対し、龍太の視線は、故郷の春のよろしさを代表する三月の雲に向けられている。

      蛇笏は、定住、土着の俳人である一方で、「生涯旅を夢みつづけた浪漫のひと」(飯田龍太『ふたりの場合』)であり、その二つの相反する要素の緊張関係を内面に抱えていたことが、蛇笏における「老いがたき」詩情の根底にある。

    葉むらより逃げ去るばかり熟蜜柑      蛇笏

    荒潮におつる群星なまぐさし          〃

    などの最晩年の作品はそのことをよく示している。

      これに対して、龍太は、故郷における定住、土着の常凡の生活の内によろしさを見出だしており、旅は愉しみの一つではあったが、自らの内面の均衡を保つ上で必須のものではなかったと思われる。

    涼新た白いごはんの湯気の香も(昭和53年)

      「ごはん」は常食として毎日のように食膳に上るものであり、そのような日常接する対象に詩を見出していく姿勢の根底には、俳句を「木綿の肌着のようなもの」、「普段着のまま身辺を見、移りかわる自然を新鮮に感受する詩」とする作者の俳句観がある。郷里における自適のくつろぎの中にあって、日々に接するささやかな対象に詩因、ひいては生きる喜びを見出している。

    山住みの奢りのひとつ朧夜は(昭和60年)

      円熟期の龍太にとって、「山住み」、すなわち故郷への定住、土着は桎梏ではなく、逆に、「奢り」と感じられていた。そのような作者にとって、旅は憧れと言うよりも、日常の延長線上にあって自然体で愉しむものだった。本稿の冒頭に引用した旅吟についての龍太の語録はそのことをよく示している。

     蛇笏の日常詠には、

    家人みな句ごころありて夏燈          蛇笏

    わらんべの溺るゝばかり初湯かな      〃

    のように家居の幸福感が表出された作も例外的にはあるが、多くの場合、その詩情の質は概ね自適のくつろぎから隔たったところにある。

    夏雲むるるこの峡中に死ぬるかな      蛇笏

      昭和14年の作。この句は、故郷に終生住み続けるであろう自らの行く末を見通し、肯定している作であるが、下五の「死ぬるかな」の詠嘆を含んだ断定にまつわる悲壮感を否定することはできない。自らの運命を見詰める作者の眼差しに曇りはないが、決して明るいものではない。

     故郷にあって家を守り、長子としての責任を全うしようとする作者の意思には揺るぎのないものがあったが、明治末年の帰郷、そしてその後の土着者としての歳月について、龍太のように「奢り」と受け止めるには至っていないことが窺える。

     さて、戦後の蛇笏、龍太の作品の中には、幾つかの類似の句がある。

    逝くものは逝き冬空のます鏡          蛇笏

    去るものは去りまた充ちて秋の空      龍太

    冬の風人生誤算なからんや            蛇笏

    冬青空ひとに誤算は常のこと          龍太

      いずれの場合も、両者の作の包含する情感は対照的である。龍太は、作句に当たり、蛇笏の句を意識しつつ同様のモチーフを用いながら、作品のもつ情感、色調を暗から明に反転させようと試みたのではないだろうか。

     第一句、第二句の「逝くもの」、「去るもの」との漠とした表現は、自然詠とも人事を詠ったとも解釈でき、いずれも自由で幅広い読みが可能である。しかし、第一句の「逝くもの」に何を想像するにしても、冬空の非情なまでの澄みと青さから、一読、作者の透徹した悲しみが否応なく伝わってくる。「行く」や「去る」でなく、「逝く」という人の死を連想させる措辞を用いていることも、この句のもつ印象を決定づけている。一方、第二句には、対照的に、爽やかで明るい印象がある。

      また、掲出の第三句の「人生誤算なからんや」との腹の底から絞り出すような声調からは、人生に「誤算」が付き物であることを自らに言い聞かせている作者の孤心が感じ取れる。一方、第四句には、人生に付き物の多少の「誤算」を「常のこと」として許容しようとする作者の余裕のある心の在りようがみえる。

      これらの作における心象風景の対照的な違いは、人生の起伏の中で戦時の経験が両者の内面に与えた傷の深度にも関わっていると思われる。

    歳月をたのしまざりき冬の山         蛇笏

    冬の空こゝろのとげをかくし得ず      〃

    冬川に出て何を見る人の妻           〃

      いずれも戦後の作品である。作者が内面に抱えている憂悶が直截に、或いは、対象に仮託されて表出されている。

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