シソ科オドリコソウ属の一年草又は越年草。北海道以外の全国に自生し、道端や田畑の畦などによく見られる。春、上部の葉脇に唇形状の紫の花をつける。なお、春の七草に数えられる「仏の座」(コオニタビラコ)は別種。俳句で「仏の座」といえばコオニタビラコを指し、新年の季語。

狭義には、春の日光の意。空から降る明るくやわらかい日差しは、最も春を感じさせる。広義に春の景色・風光やそれらのもたらす駘蕩とした気分を指す場合もある。

「春一番」は立春を過ぎてから初めて吹く強い南寄りの風のことで、もともとは漁師言葉。日本海を進む低気圧に向かって、太平洋上の高気圧から強い風が吹き込む。この風で草木の芽がほどけはじめ、春の本格的な訪れとなる。「春一番」のあと同様に吹く風は、「春二番」「春三番」などといわれる。
掲句は本格的な春の到来を前にした「訃報」を詠む。春の荒々しいエネルギーを感じさせる強風がいく度となく南から吹いてくる頃、知友の訃報に接したというのだ。今年になって訃報を受けるのは何度目だろう。そんな作者の嘆きを知ってか知らずか、季節は容赦なく進んでいく。『俳壇』2024年3月号。
立春を過ぎて降る霜。立春を過ぎてもまだまだ寒さが厳しく、霜が降りるのも珍しいことではない。特に放射冷却で冷え込んだ朝など、畑一面に霜が降りている。日がのぼり、暖かい春の日差しが降り注ぐと、たちまち消えてしまう。単に霜といえば冬季。


暑くも寒くもないほどよい温度。四季の体感温度をあらわす春の季語として、夏の「暑し」、秋の「冷やか」、冬の「寒し」に相応する。暑くも寒くもなくほどよい感じは、冬の寒さを経てきた心身に余裕を生む。客観的な温度とは別に心理的な「暖かさ」というものもある。
