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俳句の庭

  • 龍太と雲(3)

    4月 9th, 2024

     前回取り上げた〈白雲のうしろはるけき小春かな 龍太〉の作からいったん離れて、別の句に目を向けてみたい。

    白梅のあと紅梅の深空あり(昭和48年)

      この句については、「じょうじょうとした紅梅の風情は、山国の春にふさわしい彩」との作者の自句自解の一節があり、山国の空を背景に、白梅に遅れて咲く紅梅の色彩を称えた作である。白梅と紅梅は時を違えて咲くのだが、読者には、山国の「深空(みそら)」のもとで、白梅と紅梅が同時に見えてきて、その映発がこの句のもつ美しさを一段と厚みのあるものにしている。

      ほぼ同時期の作

    咲きそめし桃にさくらの花吹雪(昭和46年)

    も、時を違えて咲く花がモチーフになっているが、「白梅の」の作の省略を極めた簡潔な美しさには及ばない。句の簡潔な姿という点で、「白梅の」の作には、

    一月の川一月の谷の中(昭和44年)

    を想起させるものがあろう。読者それぞれが自由にイメージを育むことができる普遍的な句柄だが、その背後に、故郷の山河を称える心を潜めているところも共通している。

     平井照敏は、『新俳句入門』の中で、この句について次のように述べた。

    「気息と流動のリズムが脳裡にえがき出す図柄が、ひとりでに尾形光琳の「紅白梅図」につながってゆくのをおぼえる。」

     平井は、さらに続けて、「句のことばの質感の類似によって」、龍太のこの句は、

    しら梅に明る夜ばかりとなりにけり    蕪村

    に結びついてくるとし、蕪村を「純粋俳句」の先駆と位置付けたうえで、「龍太のこの句も蕪村と同質の純粋性をもつ」とした。

      平井が龍太の句と対比した光琳の「紅白梅図屏風」は、写実をベースにしながらも構成的、装飾的に画面を作り上げており、そこには、実際の梅という対象のもつなまなましさを離れた、完璧な美の世界がある。龍太の「白梅の」の句についても、言葉により構築された美の世界を作り上げていて、素材のもつなまなましさは払拭されている。 対象に即してそのなまなましさを作品に定着させることよりも、対象から自立、完結した美の世界を志向している点で、光琳の屏風絵と龍太の「白梅の」の句には通い合うものがあり、平井による両者の対比は、「白梅の」の句の特質の一面を浮かび上がらせているようだ。

      一方、平井は、龍太の「白梅の」の句を蕪村と同系列の「純粋俳句」だとして、蕪村の「しら梅に」の作を掲げているが、龍太の句と並べて鑑賞するとしたら、蕪村の臨終吟となったこの句よりもむしろ、

    几巾きのふの空のありどころ         蕪村

    が相応しいのではないだろうか。また、平井の論は、「白梅の」の句の根底にある甲州の風土とそれに対する作者の愛惜に言及していない点に不満が残る。しかし、この句には、平井のような「純粋俳句」としての読みを受け容れる柔軟さと普遍性があるだろう。

    老梅の穢き迄に花多し               虚子

    ぱつぱつと紅梅老樹花咲けり          蛇笏

      梅を詠んだこれらの句と比較すると、龍太の「白梅の」の句の特質がよく分かる。この両句においては、対象の「いのち」と作者の「いのち」とが触れ合って火花を散らす様が見える気がするのだが、前掲の龍太作には、梅をモチーフにしながらも、梅という対象から自立した、円満具足な美の世界がある。

      さて、再び前回取り上げた

    白雲のうしろはるけき小春かな(昭和60年)

    の作に戻るが、この句においても、雲という素材のもつなまなましさが払拭されていて、その点では前掲の「白梅の」の作と共通しているのだが、「白梅の」の作よりも構成意識が弱く、より構えのない日常の心情を垣間見せている点で、光琳の屏風絵から受ける印象とは隔たりを覚える。広漠たる時空に浮かぶこの「白雲」は、作者の見る対象というより、既に作者と不可分に結びついた存在となっているようだ。

     また、この句は、

    芋の露連山影を正うす                蛇笏

    のように、対象の輪郭をくっきりと浮かび上がらせている作ではない。「うしろはるけき」との漠とした措辞では、対象の輪郭は浮かび上がって来ず、替わりに、広漠とした空間とともに、過ぎ去った遠い月日に対する作者の感慨が感じられてくる。

    去るものは去りまた充ちて秋の空(昭和53年)

    碧空の中なにもゐぬ大暑かな(昭和61年)

    どこにありても南風は故郷の風(平成元年)

      これらの句の「去るものは去り」、「なにもゐぬ」、「どこにありても」という措辞には、いずれも不定称の指示代名詞が用いられていて、作者は、ここでも、対象の輪郭を暈すこと(修辞学でいう朧化法の一種)により、より広やかな世界を表現しようとしているようだ。

     掲出の第一句は、秋の空を去ったり充ちたりする「もの」を具象的に描き出してはおらず、読者は、この対象の輪郭を消し去った表現から、情景を自由に想像することになる。

     例えば、この句の「もの」が鳥であれば、

    稲刈つて鳥入れかはる甲斐の空      甲子雄

    のような情景を、それが雲であれば、それに応じた情景を想い描くことができる。また、「もの」は「物」であるとともに「者」であり、「去るものは去り」との措辞にはどこか人臭さが感じられることから、この句を自然詠としてではなく、作者が接してきた人間社会を詠ったものとして読むこともできる。いずれにしても、この作の上五中七の流れるような措辞にはたっぷりと時間の経過が含まれており、時の経過の果てに見えてくる「秋の空」の澄明感がこの作のポイントである。

      龍太には、「極めて具体的な表現をとった方が、はっきりした輪郭をもって、確かな句といえますね。」との発言(インタビュ―『わが俳句を語る』)もあり、俳句における抽象表現の危うさを十分認識していたと思われるが、この句は、敢えて対象の輪郭を消し去った表現を用いており、俳句の骨法である省略、単純化について、一つの可能性を示した成功例であろう。

    うしろより月日蹤きくる雲の峰(昭和57年)

      この句の「雲の峰」も、

    白雲のうしろはるけき小春かな(昭和60年)

    と同様に、素材としてのなまなましさより、作者の歳月に対する感慨を負っているという点で同系列の作品ということができる。この作の「うしろより月日蹤きくる」とのやや抽象的な措辞には発想の斬新さがあるが、余情のふくらみの点で、苔むした自然石のような味わいの「白雲の」の作に及ばないようだ。

      以上、主として龍太の雲の句をとおして、素材のなまなましさを消して純化していくとともに、過ぎ去った月日に対する思いを深めていく方向への句風の変化をみてきた。

     このような句風の変化の一つの契機になったと思われるのが、

    一月の川一月の谷の中(昭和44年)

    の作だろう。

     この句については、「幼時から馴染んだ川に対して、自分の力量をこえた何かが宿し得たように直感した」との自句自解があり、作句の対象になった「川」は、作者の自邸(山廬)の裏手を流れる狐川である。

     この句の「谷の中」を流れる「川」を狐川に限定して鑑賞する必要はなく、読者それぞれが抱いている「川」のイメージを呼び起こして読めば足りるのは勿論だが、「一月の」のリフレインによるこの句の緩みのない声調には、定住する故郷を愛惜する作者の心情が宿っているようだ。

     狐川とその一帯の谷は、遠望の南アルプスとともに、幼時から親しんできた作者の原風景であり、繰り返し立ち戻る詩の源泉であった。十代後半に出郷した後帰郷する機会がなかった蕪村は、

    花いばら故郷の路に似たる哉          蕪村

    と詠んだが、龍太の「谷の中」を流れる「川」は、蕪村における「故郷」のように郷愁の対象として心象風景としてのみ存在したのではなく、そこに住み続ける歳月の中で長い年月をかけて育まれたもので、心象的なものを含みながらも、絶えず日常の光景として現実に存在し続けるものだった。

    渓川の身を揺りて夏来るなり(昭和29年)

    峡中のひとの生きざま青嵐(昭和44年)

     一方、蛇笏は故郷の川や谷を次のように詠んだ。

    冬といふもの流れつぐ深山川           蛇笏

    夏雲群るるこの峡中に死ぬるかな       〃

      両者のこれらの諸作が示すように、同じ川や谷が対象になっていても、作品として顕れるときは、四季により、また、作者の内面により作品は多様な表情を見せる。

     掲出の「渓川の」の作では、擬人法により、夏を迎えた渓川のいのちの躍動感が生き生きと捉えられている。また、「峡中の」の作は、肉親を始めとして、そこに住み着いている同郷の人々に対する想いが作品の契機になっている。

      これに対して、前掲の「一月の」の作では、いのちの躍動感も人間に対する関心も作品の底に沈んで、年初の、草木虫魚の命の営みも人影も無い森閑とした谷川の光景が詠われている。生きとし生けるものの営み、年々繰り返される生滅を超えて、この句の「川」は静謐で明るい一月の「谷の中」を流れ続ける。

     作者は、この句ができたとき、対象についての具象的な叙述を省略することによって、却って、「一月」、「谷」、「川」といったシンプルな文字や言葉のもつ根源的なイメージが、全体として一つの世界を作り上げることを直観したのだと思う。そして、天から賜るようにしてこの句ができたことにより、作者の内で、省略、単純化ということが、俳句の表現領域を広げる上でどのような可能性を秘めているかについて、認識が一層深まっていったのではないだろうか。

  • 龍太と雲(2)

    4月 9th, 2024

    いきいきと三月生る雲の奥(昭和28年)

      この句では、しっとりと潤いのある雲の白さが、山国の春の到来を印象づける景物の一つとして讃えられている。この句は「土着性が句の中央に一本通って」いるとして、山本健吉が称賛を惜しまなかった作である。この句の「雲」は、どこかから流れて来て、どこかへ当てもなく彷徨っていく雲ではない。山国の風土を象徴する景物として、作者と切っても切れない関係にある雲である。

     この句は、故郷の峡中に定住した俳人によって詠われた「雲」による春の誕生の賛歌だろう。この句からは、山国にあって、春(三月)を迎えるまで過ごさなければならない寒く長い冬、そして、その間作者が抱き続けている待春の心といったことも思われる。この句の「雲」には、時には雷を孕んだり温かい雨を降らせたりしそうな生気がある。

    雲のぼる六月宙の深山蝉(昭和43年)

      前掲の「いきいきと」の作からは十数年が経過しているが、この句の「雲」も、「いきいきと」の作と同様に風土に根ざした雲である。 「六月」という季節は、梅雨どきでもあり、明暗の振り幅が大きく、それをどのようにイメージするかは、実作者によって、また、作句の契機によって多様な幅があり得るが、作者は、「雲のぼる」情景により「六月」という季節を形象化した。この句の「雲のぼる」情景には、梅雨時の鬱陶しさよりも、梅雨晴れの日差しが感じられる。

    六月や峰に雲置あらし山              芭蕉

     この句の「六月」は旧暦であり、新暦では七月の梅雨明けの頃の「あらし山」の満目みどり滴る風景が眼前する。一方、龍太の句の「六月」は新暦であって、両句の季節の様相は若干異なるが、どちらの句も、夏の鬱勃たる生気を捉えている。

    白雲のうしろはるけき小春かな(昭和60年)

      この句は句集『遅速』に収められており、当時作者は六十五歳。前掲の「雲の峰」などの初期作品や「いきいきと」の作からは三十余年の歳月が経過しているが、作者が雲に寄せる親しみの情には変わりがない。

     「はるけき」には、空間的、時間的、心理的な意味合いがある。この句では、第一義的には空間の広がりを意味するだろう。この空間の広がりにどのような情景を想い描くかは、読者の自由な想像に任されている。「白雲」とその後ろにひらけている大きな空間以外は、この句には描かれてはいないし、色彩的にも、「白雲」に小春日の淡い光が差しているだけの単明な句柄である。この句を作者に即して鑑賞すれば、北から風に乗って飛んできた白雲の後ろに、諏訪口、さらにその先の遥かな空間がひらけている様が想い浮かぶ。初冬の穏やかに晴れわたった日に、自邸(山廬)の裏手の高みに立って、空間の広がりに目を遊ばせている作者の姿が彷彿する。

     加えて、この句の「はるけき」には、時間、それも未来よりも過去、作者がこれまで過ごしてきた歳月への思いが重ねられているようだ。「うしろはるけき」という漠とした措辞によるイメージの広がりの中で、目立たない形で時間の要素が作品に溶け込んでいる。 時間がモチーフになっている作品としては、次の虚子の句がよく知られている。

    去年今年つらぬく棒のごときもの      虚子

      この句では、年末年初の時の推移が、「棒」のイメージとして読者に提示される。前掲の龍太作には、過ぎ去った歳月への愛惜の思いを感じ取ることができるが、虚子のこの句が形象化している時間は、何ら感傷も愛惜の念も帯びていない。それは、個々の人間のささやかな営みや喜怒哀楽を無視するかのように、飴のようにのっぺりと延びている。この非情さは虚子の一面だろう。一方、「白雲」の句における「はるけき」想いの行きつく先には、幼少年期に始まり肉親との死別を含む様々な思い出があり、これらの思い出を含めた歳月の起伏は、作者にとって決して平坦なものではなかったと思われる。しかし、掲出句には、その緩やかな声調からも、来し方のあれこれを慫慂として受け入れ、肯っている作者の心情が感じ取れる。

    おく霜を照る日しづかに忘れけり      蛇笏

      この句にも、前掲の龍太作と同様、作者の静謐な息遣いが感じ取れ、作品の背後に経てきた歳月への思いを潜めているが、この蛇笏の句には、龍太作と異なり、過ぎ去った月日に対する愛惜の思いというよりも、来し方の自分自身を含めて、過去を忘れ去りたい心情があるようだ。「忘れけり」には、そのような作者の心的傾向が表れている。 いずれにしても、初冬の穏やかに晴れわたった日は、人の心を来し方の遥かなところまで誘うものなのだろう。

       おなじく          山村暮鳥

      おうい雲よ

      ゆうゆうと

      馬鹿にのんきさうぢやないか

      どこまでゆくんだ

      ずつと磐城平の方までゆくんか

      ある時                           同

      雲もまた自分のやうだ

      自分のやうに

      すつかり途方にくれてゐるのだ

     いずれの詩も、詩集『雲』に収められている。詩「おなじく」においては、雲に呼びかける形をとって、その流れ行く先を問うている。雲は、当時臥床の日々を過ごしていたこの詩人にとって、知己というより分身のような存在だった。掲出の詩には季節を限定する言葉は用いられていないが、特に前詩は、時間の流れが緩やかに感じられるところから、春も深まった頃であろうか。呼びかける作者にも、呼びかけられる雲にも、ゆったりとした時間が流れているようだ。掲出の詩から即座に思い浮かぶのは、

    春の雲人に行方を聴くごとし(昭和36年)

    だろう。暮鳥の詩とは逆に、この句では、雲が人に呼びかける形をとっているのだが、いずれの作品にも駘蕩とした暮春の気配がある。

     一方、前掲の龍太の「白雲」は小春日和の雲であるが、暮鳥の雲と同様に、急くこともなく茫洋とした時空の中に浮んでいる。暮鳥の雲は、行く先に「磐城平」などがあって、作者の関心は雲がどこから来たのかにはなく、流れ行く先にある。これに対して、龍太の「白雲」の句においては、流れ行く先ではなく、その「うしろ」にひらけている空間、ひいては経てきた月日に焦点がある。

     龍太の「白雲」は過去からの時間の流れを負っており、もはや雨を降らせたり、雷を孕んだりするなまなましい雲ではない。そして、どこか、この世とかの世を自由に行き来しているような自在さ、軽やかさを備えている。それは、潤いを含んだ春の雲でも生気の漲る真夏の入道雲でもない、今にも青空に溶けてしまいそうな風情で浮んでいる初冬の雲の印象でもあろう。しかし、この句の「白雲」の印象は、単に「小春」という季感から導かれるものではなく、そこから作者の心の姿を読み取ることができるように思う。

  • 茱萸の花

    4月 9th, 2024

    「茱萸(ぐみ)」はグミ科グミ属の落葉小高木。晩春の頃、葉腋に淡黄色 の花を咲かせ、夏から秋に赤い実が熟す。単に「茱萸」といえば、秋に生る実のこと。

  • 海棠

    4月 9th, 2024

    中国原産のバラ科落葉小高木。江戸時代初期に日本に渡来し、北海道南西部以南で栽培される。晩春の頃、若芽とともに紅色の蕾を長い茎の先に垂らし、淡紅色の一重又は八重の花がうつむき加減に咲く。

  • 龍太と雲(1)

    4月 8th, 2024

      飯田龍太には、雲を詠んだ句が数多くある。雲は、視線を上へ向ければその先に浮かんでいて、季節ごとに多様で細やかな表情をみせる。それは、山国であれば山々に調和し、海辺であれば海原の風景に溶け込む。龍太が詠む雲は、多くの場合、定住する山中にあって親しみ愛しんだ景物の一つである(以下、文中に掲出する龍太の俳句については、原則として、作者名を省略し、作られた年を(昭和○年)のように作品の下に付記する。)。

    雲の峰祭の夜をうつくしく(昭和20年以前)

    夕されば春の雲みつ母の里(昭和23年以前)

    黄金虫うす雲竹のかなたにて(昭和26年)

     句集『百戸の谿』所収の初期作品にはこんな句がある。どの句においても、雲は、故郷に定住する作者の身近に、ごく自然に、周りの風景に溶け込んで存在しており、若き龍太が雲に寄せる親しみの情が自ずから表れている。

      雲の句を数多く詠んだのは龍太に限ったことではない。

    ゆく雲にしばらくひそむ帰燕かな      蛇笏

    夏雲むるるこの峡中に死ぬるかな      〃

    山柿のひと葉もとめず雲の中           〃

      山国の空を絶えず去来する雲は、その時々の心情を託す対象として、蛇笏作品に度々登場し、ときには漂泊への思いを誘うものであった。蛇笏には、『白雲山廬』と題するエッセイがあり、この題名自体、「白雲」に対する作者の親しみを示すものだが、そのエッセイの中で掲出の第2句について、「白雲山中の逍遥子をしてこの自然が感懐をうたわしめた。」と記している。

    輝る雲に果樹園の冬定まりぬ          直人

    裏山にひかる雲積み蛇笏の忌          〃

    夕暮は雲に埋まり春祭                〃

      第一句集『帰路』から掲出した。廣瀬直人には、その後も多くの雲を詠った作がある。これらの諸作における雲は、当てどなく漂流するのではなく、郷里の景物の一つとしてそこに根を張っており、時には作者を包み込む。

     比較のために高浜虚子の句をみると、虚子にも雲を詠った作はあるが、

    一塊の雲ありいよいよ天高し          虚子

    など、概ね、スケッチ風の軽い句であって、虚子の代表作といえるような作品はない。虚子にとって、雲は、自らの心情を託すに足る景物ではなかったのだろう。

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