「夏木蔭」は枝を伸ばし青葉を茂らせた夏木立の木蔭をいう。砂漠の中のオアシスのように、夏の暑い盛りにも安らげる場所だ。
掲句は地元の祭のひと齣を描写した作品。山車囃子の笛方を務める2、3人の若衆が、木陰で、襟に篠笛を挿して自分の出番を待っていた。山車が動き始め、祭が佳境に入る前の期待と緊張の入り混じった一瞬だ。令和3年作。
「夏木蔭」は枝を伸ばし青葉を茂らせた夏木立の木蔭をいう。砂漠の中のオアシスのように、夏の暑い盛りにも安らげる場所だ。
掲句は地元の祭のひと齣を描写した作品。山車囃子の笛方を務める2、3人の若衆が、木陰で、襟に篠笛を挿して自分の出番を待っていた。山車が動き始め、祭が佳境に入る前の期待と緊張の入り混じった一瞬だ。令和3年作。
「鷭(ばん)」はツル目クイナ科の鳥。全国の水田、湿原、湖沼などの草の茂った水辺に繁殖し、水辺の植物の種子や昆虫等を餌としている。留鳥だが、北国に棲息しているものは、冬季、関東以西の温暖な地方へ移動する。
掲句は石神井公園の三宝寺池で鷭の幼鳥を眺めていての作。鷭の幼鳥は巣立った後も遠くへは行かず、巣の近くの水草を伝って餌を求めて歩き回る。幼鳥はからだの羽毛がうすい褐色で、親鳥とすぐ見分けがつくが、逞しい二本の脚だけは一人前だ。眺めているうちに、鷭の子が私の胸中を覗きに来るような錯覚に囚われた。独り心から生まれた空想の一句。令和元年作。
冷房は、現在家庭、学校、オフィスその他の建物内や電車内など至るところに普及し、夏季の日常生活は冷房なしには済まされない。ときには、自然から隔離された冷房の室内よりも、戸外の涼風が恋しくなることもある。
掲句は、秩父の横瀬町歴史民俗資料館を訪れたときの作品。冷房の効いた館内には、近くの鍾乳洞から出土したオオカミの化石が展示されていた。13万年前のものだという。秩父の山々にはかつて沢山のオオカミが生息し、人々の信仰の対象になってきた。この地域には、オオカミを「お犬様」として祀っている神社が数多くある。オオカミは20世紀初頭に絶滅したとされるが、現在でも人々の心に宿り続けているという。ガラスケースのオオカミの化石を眺めながら、オオカミが野山を歩き回っていた頃のことに思いを巡らした。平成26年作。
「父の日」は6月の第3日曜日。父親の日頃の労苦をねぎらい、感謝を捧げる日。アメリカ発祥の祝日で、日本には第二次世界大戦後もたらされた。
掲句は、父の日、畳に寝転んで庇の先の群雲を眺めていて、ふと亡き父のことや自らの来し方行く末を漠然と思い描いての作品。街中でも家の中でも、「父の日」には「母の日」ほどの華やぎはない。その日も梅雨曇りのまま何事もなく夕暮になった。暮れてゆく雲を眺めながら、しんみりした気分で密かに亡き父を偲ぶ。誰にも乱されたくないひと時だ。令和2年作。
夏至後の第3の庚 (かのえ) の日を初伏、第4の庚の日を中伏、立秋後の最初の庚の日を末伏といい、この三つをあわせて「三伏(さんぷく)」という。おおむね7月中旬から8月中旬にかけての期間であり、夏の最も暑い時期である。
掲句は日照雨(そばえ)が降った後の野山の雨つゆの光に、夏という季節のいのちを感じ取ってできた作品。雨雲が過ぎた後、野はきらきらと元の明るさを取り戻した。声を潜めていた諸鳥も鳴き始めた。夏の全貌が込められているような「三伏」という季語が、この場合ピッタリだと感じた。平成30年作。