「良夜」は陰暦8月15日の中秋の名月の夜をいう。鮮やかに中天に上る月を仰ぎ、清明なる夜を楽しむ。
掲句は、長野の野辺山高原での作。月下に佇みながら、現に滞在している南牧村と周辺の原村、川上村、南相木村などの南信の村々やそこに生活する人々、それぞれの村を隔てている山の連なりを思った。隣接していながら迂回しなければ行き来ができず、また、山々に遮られて直接遠望もできないというのは、山国特有の生活感覚なのだろう。清らかな月明かりが、私の想像を膨らませてくれたのだと思う。令和4年作。
「良夜」は陰暦8月15日の中秋の名月の夜をいう。鮮やかに中天に上る月を仰ぎ、清明なる夜を楽しむ。
掲句は、長野の野辺山高原での作。月下に佇みながら、現に滞在している南牧村と周辺の原村、川上村、南相木村などの南信の村々やそこに生活する人々、それぞれの村を隔てている山の連なりを思った。隣接していながら迂回しなければ行き来ができず、また、山々に遮られて直接遠望もできないというのは、山国特有の生活感覚なのだろう。清らかな月明かりが、私の想像を膨らませてくれたのだと思う。令和4年作。
秋は暑い夏が過ぎて冬へ向かう途中の爽快な季節。ただ、初秋の8月は残暑厳しく、また晩秋の頃は肌寒さを覚えるので、快適に過ごせる期間はそう長くはない。空気も水も澄み渡り、山々は紅葉する。
掲句は、書肆(しょし)の店内でしばらく客の一人として過ごす自分自身を詠んだもの。店内で過ごすのは夕暮時の僅かな時間だが、誰にも縛られずに好きな本を手に取ってめくるのは、至福の一時だ。店を出ると外は既に暗くなっていて、対照的に、しばらく過ごした店内の灯火の明るさが心に残る。令和5年作。
立春から数えて二百十日(新暦では9月1、2日頃)、二百二十日、二百三十日は、丁度、早稲(わせ)や中稲(なかて)、晩稲(おくて)の開花時期に当たったことから、古来風雨の吹きやすい日として農家から恐れられた。颱風の襲来時期にも当たり、実際に風雨が募ることも多い。
掲句は9月1日の休暇明けに日比谷公園を散策しての一句。久しぶりに見る公園内の雲形池は青みどろがどろどろと覆って見る影もなく、これまで経てきた暑さの厳しい夏の百日を思わせた。青みどろの間から真鯉が貌を覗かせていた。平成29年作。
夏の終わりを「夏の果」という。夏を惜しむ思いの感じられる季語。立秋前後ではまだ暑さが厳しく、連日の暑さに辟易して、夏を惜しむ思いなど湧いてこない。実感として夏を惜しむのは、子供たちの夏休みが終わる8月末頃だろうか。
掲句は、本を読んだり書いたりするのによく喫茶店を利用していた頃の作品。週末ごとに出掛けて、通りすがりの喫茶店で小半時憩うのが当時の習慣だった。本を読んでいて、気がつくと店内に客は私一人だった。街中よりも時間がゆったり流れているような喫茶店のほの暗い店内で、道を行く疎らな人影を眺めながら、今年の夏も終わったのだと思った。名残惜しさと安堵感が入り混じっていた。平成29年作。
「木守(きまもり)」は収穫の後に一つ二つ木に残しておく柿の実や柚子の実などをいう。榠樝(かりん)その他の果樹でも、収穫の後梢に残っている実を見かけることがある。翌年の実生りへの祈りからともいわれる。
掲句は、中央線で笹子口を抜け甲府盆地に入ったときの情景を句にしたもの。家々の庭の柿や柚子、榠樝は、おおかた捥がれて梢に二、三残すのみだったが、初冬の山国の空を背景に、色鮮やかに目に残った。山梨は飯田蛇笏、龍太父子が生涯を過ごした地であり、甲府盆地に入った心の昂ぶりが、この句の弾むようなリズムになって表れていると思っている。平成27年作。