「秋霖」は9月中旬から10月上旬頃降り続く長雨のこと。秋雨前線が停滞することで起こる。梅雨のようにしとしとと雨が降り続く。
掲句は神田神保町のとある古書店の二階で、絵本を立ち読みしていて授かった一句。しばらく仕掛け絵本のメルヘンチックな雰囲気に浸った後外に出ると、曇り空から雨粒が落ちてきていた。平成16年作。『春霙』所収。
「秋霖」は9月中旬から10月上旬頃降り続く長雨のこと。秋雨前線が停滞することで起こる。梅雨のようにしとしとと雨が降り続く。
掲句は神田神保町のとある古書店の二階で、絵本を立ち読みしていて授かった一句。しばらく仕掛け絵本のメルヘンチックな雰囲気に浸った後外に出ると、曇り空から雨粒が落ちてきていた。平成16年作。『春霙』所収。
「蚯蚓(みみず)鳴く」は、秋の夜に土の中から聞こえるジーという螻蛄(けら)などの鳴き声を、昔の人がミミズの声と取り違えたことに由来する空想的な季語。発声器官を持たないミミズが鳴くことはないが、その声が聞こえるように思うところに、俳諧の趣がある。虚実さだかでないその微かな声に、秋の夜はしんしんと更けてゆく。
掲句は、平成22年8月末に角川学芸出版から発行された『井伏鱒二飯田龍太往復書簡』に収められている往復書簡400余通を順々に読みながら、その中に何通か欠落した書簡があることにそこはかとない関心を覚えての作。親愛と敬愛に満ちた両者の交友を証する書簡の数々を読み耽っていると、自ずから立ち昇ってくる交友の温もりに、私の心もあたたまる心地がした。平成22年作。
「尾花(おばな)」は「芒(すすき)」の花穂(かすい)のこと。動物の尾に似ているところからこの名がある。「芒」が葉、茎、花穂の全体を指すのに対し、「尾花」は花穂だけをさす。「芒」は夏から秋にかけて黄金色で箒状の花穂をつける。秋の深まりとともに、花穂は白っぽくなり、晩秋には綿毛をつけた種を風に飛ば す。
掲句は晩秋の頃、夜明け前のまだ明るい月光の中で「尾花」を握ったことを句にしたもの。「尾花」の微かな湿りは、5年前の10月下旬に亡くなった母の手の感触を思い起こさせた。死に近い母の手の、最早握り返さない柔らかい感触は、終生忘れることはできない。令和6年作。
「白露(はくろ)」は二十四節気の一つ。秋分より15日前で、太陽暦では9月8日頃。ようやく秋の気配が濃くなり、朝晩と日中の気温差が大きくなる。朝日を受けて草露がきらきらと輝く。
朴(ほお)は初夏の頃枝先に白い芳香のある大きな花を咲かせた後、長楕円形の実ができる。実は9月から11月にかけて赤く熟す。掲句は「白露」の頃の熟し始めの朴の実の色合いを詠んだ作品。ほのぼのと紅色が兆した朴の実に、季節の確かな足取りを感じた。令和4年作。
「十月」は暑くもなく寒くもなく過ごしやすい月。月の初めは秋の長雨が続くことがあるが、月の後半は天気も安定し朝晩は気温も下がってくる。野山に紅葉が始まり、稲や果物など農産物が収穫時期を迎える。
掲句は秋が深まるにつれて大気が澄み、くっきりと姿を見せる富岳に、「十月」に対する感慨を重ねた作品。「十月」は極暑の関東平野に住む者にとって、暑さから解放される好季節だ。それまで見えなかった遠い山並みが、克明に姿を現す。加えて、「十月」は、飯田蛇笏の忌日(10月3日)が巡ってくる月でもある。朝の散歩のときに、富士を遠望しながら何気なくできた作品だが、蛇笏に対する遥かなる思いが、この句の背景にあると思っている。令和6年作。