「秋時雨(あきしぐれ)」は秋も終わりの頃に、降ってはすぐに止む小雨や通り雨のこと。冬が近づき、朝晩の気温が下がる時期の雨であり、侘しさや静けさを感じさせる。
掲句は妹夫妻の山荘に泊まった時の作品。富士の東麓に当たる山中湖畔は晩秋初冬の雲の通り道なのだろう。その夜も天窓を濡らして雨が通り過ぎた。夜が更けるにつれて戸外はしんしんと冷えてきたが、暖炉の火を傍らに、湯気の立つ手料理をいただき、心豊かな時を過ごした。令和6年作。
「秋時雨(あきしぐれ)」は秋も終わりの頃に、降ってはすぐに止む小雨や通り雨のこと。冬が近づき、朝晩の気温が下がる時期の雨であり、侘しさや静けさを感じさせる。
掲句は妹夫妻の山荘に泊まった時の作品。富士の東麓に当たる山中湖畔は晩秋初冬の雲の通り道なのだろう。その夜も天窓を濡らして雨が通り過ぎた。夜が更けるにつれて戸外はしんしんと冷えてきたが、暖炉の火を傍らに、湯気の立つ手料理をいただき、心豊かな時を過ごした。令和6年作。
「迎盆(むかえぼん)」は旧暦7月13日の夕、迎え火や盆提灯で先祖を迎えること。地域によっては陽暦で行うところも多い。「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の傍題。
掲句は、お盆の13日に菩提寺に立ち寄った後、墓まで父母を迎えに行った時の作品。その日は朝から生憎の雨だったが、本降りと言うほどではなく、午後もしとしとと降り続いていた。白木の卒塔婆を担いで雨の中を歩いた。道すがら白さるすべりが折からの雨を含んで咲きこぼれていた。父母を迎えるしんとした思いに、さるすべりの白い印象が重なった。令和7年作。
粟(あわ)は東アジア原産のイネ科の一年草。稲、麦、黍(きび)、稗(ひえ)とともに五穀の一つで、世界各地で古くから栽培されてきた。花の後に黄色い実をつける。現在では、主として餅や菓子、小鳥の餌などに利用される。
掲句は、丈高く稔っている粟の穂に、夕月が光りはじめたとの句意。解説するまでもない作品だが、秋の夕暮れの情趣がそこはかとなく感じられると思っている。バス停でバスを待っているとき、後ろが一面の粟畑だった。暗くなる前の薄明のひと時。平成21年作。『春霙』所収。
「無月(むげつ)」は陰暦8月15日の名月の夜、空を覆う雲に月が隠れていること。待ちわびた月が隠れて見えないのは残念だが、そこに風情を見出すところに、日本人の美意識が垣間見える。
掲句は「無月」の夜、手に抜き捨てた草のにおいが付いたままになっていることに気づいて詠んだ作品。折角の満月が姿を現さないのは期待外れだが、中秋の名月の夜だと思えば、空が雲に覆われているとはいえ、華やぐ心も無くはない。からりと晴れわたって澄んだ月光に照らされているより、気持ちが落ち着くように思う。平成20年作。『春霙』所収。
「茶立虫(ちゃたてむし)」は、チャタテムシ目の昆虫の総称で、体長数ミリほどの小さな虫。障子などにとまって、サッサッと茶を点てるような音で紙を掻くことからこの名がある。もの寂しい秋の音の一つ。
掲句は独り留守居をしているとき、障子に茶立虫の音を聞き留めての作品。そういえば、その日は旅行にでも行ったのか、隣家は音ひとつ無く、しんと静まり返っていた。庭のコオロギの声も弱々しくなる時分であった。平成20年作。『春霙』所収。