「秋深し」は、晩秋の頃のもの淋しさの漂う静けさや落ち着いた風情をいう。多分に心理的な言葉。
掲句は立冬を前にして、木々と木々に群がる鳥を詠んだ作品。人の目に好ましい樹形があるように、鳥たちにも止まりやすい木や憩える枝があるようだ。朝、疎水の小橋を渡るとき、梢にいつも雀が群がっている枯梅がある。近くに餌がある訳でもないので、朝日を待っているように思えるが、本当のところは雀に聞いてみなければ分からない。外敵が良く見えるというのも、雀たちにとって大事な条件なのかも知れない。令和6年作。
「秋深し」は、晩秋の頃のもの淋しさの漂う静けさや落ち着いた風情をいう。多分に心理的な言葉。
掲句は立冬を前にして、木々と木々に群がる鳥を詠んだ作品。人の目に好ましい樹形があるように、鳥たちにも止まりやすい木や憩える枝があるようだ。朝、疎水の小橋を渡るとき、梢にいつも雀が群がっている枯梅がある。近くに餌がある訳でもないので、朝日を待っているように思えるが、本当のところは雀に聞いてみなければ分からない。外敵が良く見えるというのも、雀たちにとって大事な条件なのかも知れない。令和6年作。
黍はイネ科の穀物で、秋に収穫される五穀の一つ。古くから日本で栽培されてきた。丈が高く、夏から秋にかけて花を咲かせる。
掲句は八ヶ岳東麓の野辺山高原での作品。乳搾り体験や乗馬もできる観光牧場を訪れた。酪舎の暗がりに扇風機が回り、母牛が重たげな身を横たえていた。窓の外の黍畑を吹く爽やかな風とは対照的に、酪舎内には牛の臭いに加え、暑さと暗さが充満していた。平成11年作。『河岸段丘』所収。
「秋霖(しゅうりん)」は、秋の長雨のこと。夏の夕立のような激しい雨ではなく、時に一日中、或いは数日間にわたり静かに降り続く。
掲句は母方の祖父が亡くなり、四十九日の法要を済ませて納骨したときの作品。「男」と素っ気なく言っているが、実際に卒塔婆を担いでいたのは父であった。そんな時の雨は冷え冷えと胸に沁みるものである。私としては、初期の作品に属する一句。その年の5月に生まれた次男が、葬儀の雰囲気に異様なものを感じたのか、法要の最中に泣き出したことを覚えている。平成4年作。『河岸段丘』所収。
「つりがねにんじん」は漢字表記では「釣鐘人参」。キキョウ科の多年草。全国の山地、高原などに自生する。晩夏初秋の頃、淡紫色の釣鐘の形をした花を下向きにつける。
掲句は八ヶ岳の東麓の野辺山高原での作品。林縁にこの花をよく見かけた。花の一つ一つが鐘の形をしているので、耳元で振ってみたいと思うような可憐な花だ。既に初秋の頃で、避暑期のピークは過ぎ、日暮れの気配が辺りに漂っていた。稜線の向こうに日が落ちると、たちまち夜闇が被さってくる頃だった。平成10年作。『河岸段丘』所収。
「稲妻」は、放電現象により空に走る電光のこと。雷が遠方のために雷鳴が聞こえず、光だけが見えるものや、雨を伴わないものを指すことが多い。
掲句は八ヶ岳山麓の野辺山高原に滞在中の作品。昼間は佐久平を隔てて遥か北に望まれた浅間山のなだらかな山容も、夜になるとすっかり闇に包まれる。その夜は、時折遠い雷が音もなく、瞬くように空や近くの山々や四辺の木々を照らし出していた。「稲妻」により昼間眺めた野の起伏が遥かまで照らし出される様を想像した。令和7年作。