「冷やか」は秋になって肌に直接覚える冷気、冷やかさのこと。物に触れて肌で感じる秋の気配。「ひえびえ」「秋冷」などともいう。
掲句は、ある人から来た断りの返信から受けた、その人の心の持ちようの冷やかさを詠んだもの。「冷やか」という季語が本来持つ即物的に捉えた秋の感覚とはやや異なった、心理的な冷やかさを多分に含んだ用い方だが、期待外れの手短な返信を受け取ったとき、そう表現するしかなかったことを覚えている。令和5年作。
「冷やか」は秋になって肌に直接覚える冷気、冷やかさのこと。物に触れて肌で感じる秋の気配。「ひえびえ」「秋冷」などともいう。
掲句は、ある人から来た断りの返信から受けた、その人の心の持ちようの冷やかさを詠んだもの。「冷やか」という季語が本来持つ即物的に捉えた秋の感覚とはやや異なった、心理的な冷やかさを多分に含んだ用い方だが、期待外れの手短な返信を受け取ったとき、そう表現するしかなかったことを覚えている。令和5年作。
「鵙」はスズメ目モズ科の漂鳥又は留鳥。平地から山地に棲み、繁殖期が過ぎて秋になると、それぞれ縄張りを主張して、高い梢などに止まり鋭い鳴き声を上げる。秋の到来を感じさせる声だ。
掲句はようやく夏の暑さから解放され、心地よい外歩きをしたときの作品。10月に入ると、朝の大気は澄み、草はたっぶりと露をふくんで日の出を待つ風情。折から、梢の鵙が夜明けを待ちかねたように声を放つ。一羽が声を上げると、続いて別の梢の鵙が声を放つ。みな、それぞれの縄張りを主張しているのだ。令和5年作。
「秋思(しゅうし)」は秋になり心に感じたり思ったりすること。寂しさ、静けさ、秋のあわれなどが一体になって形づくられる思い。春の「春愁(しゅんしゅう)」と比べると、心の湿り気は少ない。
静かな水面を見つめて、無色透明のほとんど無心に近い思いの中にいたとき、不意に鮠か稚鯉か銀鱗の一寸ほどの魚が跳ねて、そこで思いが断ち切られたのだった。その水輪もたちまち消えて、水面は元の静寂に戻ったが、魚が跳ねて途切れた私の「秋思」は、途切れたままだった。それ程淡々とした「秋思」だった。令和3年作。
「良夜」は陰暦8月15日の中秋の名月の夜をいう。鮮やかに中天に上る月を仰ぎ、清明なる夜を楽しむ。
掲句は、長野の野辺山高原での作。月下に佇みながら、現に滞在している南牧村と周辺の原村、川上村、南相木村などの南信の村々やそこに生活する人々、それぞれの村を隔てている山の連なりを思った。隣接していながら迂回しなければ行き来ができず、また、山々に遮られて直接遠望もできないというのは、山国特有の生活感覚なのだろう。清らかな月明かりが、私の想像を膨らませてくれたのだと思う。令和4年作。
秋は暑い夏が過ぎて冬へ向かう途中の爽快な季節。ただ、初秋の8月は残暑厳しく、また晩秋の頃は肌寒さを覚えるので、快適に過ごせる期間はそう長くはない。空気も水も澄み渡り、山々は紅葉する。
掲句は、書肆(しょし)の店内でしばらく客の一人として過ごす自分自身を詠んだもの。店内で過ごすのは夕暮時の僅かな時間だが、誰にも縛られずに好きな本を手に取ってめくるのは、至福の一時だ。店を出ると外は既に暗くなっていて、対照的に、しばらく過ごした店内の灯火の明るさが心に残る。令和5年作。