「蘆芽(あしかび)」は水辺に芽吹いて間もない蘆の若芽のこと。「葦の角(あしのつの)」ともいう。薄緑色で小さな角のような姿が春の訪れを感じさせる。
掲句は勤務先近くにあった日比谷公園での作品。昼休みにいつも行く公園内の水辺に佇んで、しばらくの時を過した。季節は着実に移ろい、足元の水辺にはいつしか蘆が可憐な芽を出していた。この句を読むと、当時胸の内に抱えていた悩みのあれこれが思い出される。「眼冷ゆ」は、その時水を眺めていて感じたことをそのまま表現した。平成21年作。『春霙』所収。
「蘆芽(あしかび)」は水辺に芽吹いて間もない蘆の若芽のこと。「葦の角(あしのつの)」ともいう。薄緑色で小さな角のような姿が春の訪れを感じさせる。
掲句は勤務先近くにあった日比谷公園での作品。昼休みにいつも行く公園内の水辺に佇んで、しばらくの時を過した。季節は着実に移ろい、足元の水辺にはいつしか蘆が可憐な芽を出していた。この句を読むと、当時胸の内に抱えていた悩みのあれこれが思い出される。「眼冷ゆ」は、その時水を眺めていて感じたことをそのまま表現した。平成21年作。『春霙』所収。
河津桜、寒桜などとともに、早咲きの桜の品種の一つ。通常の桜よりも早く3月中旬から自然開花する。ビニールハウスでの加温栽培によるものが、12月下旬から市場に出回り、正月飾りや早春のインテリアとして親しまれる。細い枝に薄紅色の小ぶりな花が群がり咲く。なお、歳時記には掲載されていない。

「冴返る(さえかえる)」は春先に暖かくなった後に寒さがぶり返すこと。一度暖かさを感じた後、心身にしみるように感じる寒さ。万象が引き締まる感じがある。
掲句は、国会議事堂近くの憲政記念館を訪れて、昭和7年の五・一五事件を報じた新聞の号外に触発されての作品。見出しの大きな活字や写真が黒々と目に焼き付いた。急速に戦争に傾いて行った昭和初期の社会の暗さを思った。当時のそのような世情が、今の世と無縁のものであればいいと願っている。平成9年作。『河岸段丘』所収。
「東風(こち)」は春に吹く東風のこと。冬型の気圧配置が崩れたときに吹く、寒さを和らげ、時には雨を伴う柔らかな風である。春の訪れを告げる風として、古くから親しまれてきた。
掲句は、通りすがりの保育園での光景が契機になってできた作品。早朝の園舎の軒下に沢山のナプキンが干してあった。真っ白なナプキンはひらひらと風に靡き、園児たちの通園を待っているように見えた。まだ人影はなかったが、春の到来を感じさせる光景だった。令和6年作。
「木の芽(このめ)」は春になって様々の樹木の芽が吹くこと。それぞれの木の名を冠して「柳の芽」「楓の芽」などという。広葉樹を主とした雑多な樹木の芽吹きが「雑木の芽」。
掲句は、八国山の東の端の久米川古戦場跡を詠んだ作品。元弘3年、鎌倉幕府軍と新田義貞率いる反幕府軍が戦い、新田軍が勝利した。今は山麓の住宅地の小さな公園内に石碑が立っているのみで、かつての古戦場の面影をとどめるものは何もない。折から、櫟や欅など八国山の雑木がそれぞれの色合いで芽吹きの季節を迎えていた。令和7年作。