年が改まっての感慨を託す季語には、「去年今年」、「新年」、「年立つ」などいろいろある。時の流れの迅速を思うのもこの時季だ。
掲句は大晦日から元旦にかけての感慨を句にしたもの。前年の10月に母が亡くなり、年が去り年が来る慌ただしさのなかで、無常迅速という言葉がしきりに思い起こされた。月日の歩みは、急流にのって流れ去っていく水のようなものではないだろうか。令和2年作。
年が改まっての感慨を託す季語には、「去年今年」、「新年」、「年立つ」などいろいろある。時の流れの迅速を思うのもこの時季だ。
掲句は大晦日から元旦にかけての感慨を句にしたもの。前年の10月に母が亡くなり、年が去り年が来る慌ただしさのなかで、無常迅速という言葉がしきりに思い起こされた。月日の歩みは、急流にのって流れ去っていく水のようなものではないだろうか。令和2年作。
俳句で「七日」といえば、正月七日のこと。五節句の一つとして、七種粥を祝う慣習がある。「人日」「人の日」ともいう。
掲句は勤め先の周辺を昼休みに散歩していた頃の作。年明けの7日といえば、正月気分は抜けないものの、既に通常の業務が始まっていた。とはいえ、街中にはどことなく新たな年を迎えた華やぎが残っていた。「海の鳥」は実際にはカモメで、隅田川から少し離れて、ビル街を巡っている姿が見られた。平成30年作。
「淑気(しゅくき)」は、新たな年を迎えて、天地に満ち満ちるめでたく厳かな気配のこと。
掲句は元日の朝、埼玉と東京の県境を流れる柳瀬川の遊水地を散策したときの一句。折からの寒さで川面から靄が立ち上がり、靄の中に、数羽の鴨が翼を使うこともなく静かに浮かんでいた。その靄は、年が改まって天地が新たに目覚めたかのように清新に感じられた。平成14年作。『河岸段丘』所収。
初護摩は、新年になってはじめて焚く護摩。不動明王などを本尊とし、その前に護摩壇を設け、長短の護摩木を焚き、火中に供物を投じて修する。災いを除き、幸福をもたらし、悪を屈服させることを祈願する。
掲句は狭山不動尊に初詣に行ったときの作品。折から穏やかに晴れ、見るもの聞くものに、新年を迎えた目出度さが感じられる佳き日だった。太鼓の轟とともに、青空高く立ちのぼった護摩木の煤が、ゆらゆらと参拝に訪れた人々の頭上や肩の上に下りてきた。平成18年作。『春霙』所収。
「古年(ふるとし)」は「去年(こぞ、きょねん)」の傍題。新年になって過ぎ去った年をふりかえる心がある。
掲句は、年が改まって、過ぎ去った年のあれこれを思い浮かべての作。関東地方に珍しく雪が降り、粉雪が藪を打つ乾いた音が耳に残った。明るくてどこか侘しいその音に、学生時代の一時期を除き、この地を離れなかったわが半生を振り返った。平成20年作。『春霙』所収。