赤子眠りて繭臭き灯に染まる 直人
「繭」は蚕の作る繭のことで、特に春蚕の作った繭を指す。絹の原料になる。養蚕農家は、生繭を日に干したり、糸をとるために繭を煮るたりするなど、多忙を極める。
掲句は、「繭臭き灯」が、養蚕農家の繁忙期を彷彿させる作品。家人の目のとどくところに、赤子を眠らせているのだ。繭を煮る生臭い臭いの中に、蚕室の灯が夜遅くまでともり、そこに寝かされている赤子をも染めている。「繭臭き」との措辞を見出したのは、土着者の感性。昭和50年作。『日の鳥』所収。
赤子眠りて繭臭き灯に染まる 直人
「繭」は蚕の作る繭のことで、特に春蚕の作った繭を指す。絹の原料になる。養蚕農家は、生繭を日に干したり、糸をとるために繭を煮るたりするなど、多忙を極める。
掲句は、「繭臭き灯」が、養蚕農家の繁忙期を彷彿させる作品。家人の目のとどくところに、赤子を眠らせているのだ。繭を煮る生臭い臭いの中に、蚕室の灯が夜遅くまでともり、そこに寝かされている赤子をも染めている。「繭臭き」との措辞を見出したのは、土着者の感性。昭和50年作。『日の鳥』所収。
濃尾平野に人しるき薄暑かな 直人
「薄暑(はくしょ)」は、立夏を過ぎてほのかに暑さを感じる爽やかな気候のこと。歩くと少し汗ばむ程度で、新緑が美しく風が心地よい時期である。大正時代以降に使われるようになった、比較的新しい季語。明るく前向きな夏の始まりを表す。
掲句は、やや高みから濃尾平野を見わたしての旅吟。「しるき」は漢字表記では「著き」で、様子や特徴がはっきりとわかり、際立っていること。大景の中で動く人影が、初夏の光の中でくっきりと浮かび上がったのだ。濃尾平野という木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の土砂堆積で形成された広大な平野の景観を、天守閣などからほしいままにしている作者の姿が彷彿する。「薄暑」には、表現者としての作者の前向きな思いが映し出されているだろう。昭和49年作。『日の鳥』所収。
一群の鳥やや高き薄暑光 直人
「薄暑(はくしょ)」は、初夏の頃のやや汗ばむほどの暑さをいう。本格的な暑さが到来する前の、軽やかな心地よさがある。大正時代に定着した感覚的な季語。この時季の透明感のある光や鮮明な物の輪郭に焦点を当てる場合、「薄暑光(はくしょこう)」という。
掲句は、初夏の透き通るような日差しの中で、頭上を越えていく「一群の鳥」を仰いでの作品。鳥たちの飛んでいく高度が、常に見慣れている飛翔よりやや高いとの感受は、折りからの「薄暑光」の中でくっきりと浮かび上がる。それは、鳥たちの飛翔を常に見慣れているからこそ感受できたものだろう。土着者の目がさり気なく生きている作品。昭和47年作。『日の鳥』所収。
蝸牛桜は雲の湧く木なり 直人
「蝸牛(かたつむり)」は陸生の巻貝の一種で、2本の角を出し、木や草をゆっくりと這う。湿気を好み、梅雨の頃に葉陰などで見かけることが多い。
掲句は、梅雨の頃、鬱蒼と葉を茂らせた桜を詠む。「蝸牛」と大木の桜とは、両者相俟って梅雨どきの鬱勃たる季節の様相を現わす。「蝸牛」は、季節感を明確にして景を引き締める点景であり、加えて、故郷に定住土着する作者の分身でもあるだろう。昭和46年作。『帰路』所収。
草靡きつつ郭公の声揃ふ 直人
「郭公(かっこう)」は、初夏に南方から日本へ渡来し初秋の頃帰っていくホトトギス科の鳥。明るい林や高原で聞くカッコーという鳴き声は、古くから親しまれてきた。「閑古鳥」ともいう。
掲句は、明るい高原の草原を思い浮かべたくなる作品。草原の遠く近くに鬱勃と鳴き続ける郭公。テンポの不揃いなそれらの声が、ときに揃うことがあるという。健やかな作者の耳が、草原の彼方の郭公の声に向けられているのだ。「草靡きつつ」の上五が、高原を吹きわたる心地よい微風を感じさせる。昭和43年作。『帰路』所収。