この道を行く人なしに秋の暮 芭蕉 元禄7年9月26日、大坂新清水の料亭「浮瀬」で俳会が催された。催したのは和田泥足で、同座したのは芭蕉のほか、支考、͡之道、車庸、酒堂、惟然など。この初案は、俳会の数日前にできていたもので、秋の暮の寂寥感をモチーフにした叙景的な発想による作品。別案に、 人声やこの道帰る秋の暮 芭蕉 があり、初案と同じ主題を、家路を急ぐ2、3の人の話し声を配することによって、別の角度から描いた。芭蕉の胸中の人懐かしさの思いがこの句になったものだ。
この道や行く人なしに秋の暮 芭蕉 芭蕉は、初案の「この道を」を「この道や」と改め、前記の俳会に「人声や」の句とともに2句持参した。『笈日記』には「此二句いづれをかと申されしに、この道や行ひとなしにと獨歩したる所、誰かその後にしたがひ候半(はん)とて、そこに所思といふ題をつけて半歌仙侍り。」とある。この推敲及び詞書により、初案の「道」は抽象性を帯び、芸術と人生における孤独と寂寥を象徴するものとなった。「所思」との詞書は、この句が象徴詩であることを、連衆の前で自ら明らかにしたものだろう。