嚙み当つる身のおとろひや海苔の砂 芭蕉 元禄4年作。初老を過ぎた者に共通の体験と心理を詠んだ作品。当時48歳の芭蕉は同年3月末まで故郷伊賀に逗留していた。海苔に混じっていた砂を噛み当てたときの何とも言えない嫌な感触を、衰老の嘆きに結び付けている。
衰ひや歯に喰ひ当てし海苔の砂 芭蕉 元禄5年刊行の車庸編『己が光』には、この形に推敲された。上五で「衰ひや」と老いの感慨を端的に表出した後、中七下五で歯の一瞬の感覚に集中した具象的イメージを提示した。
嚙み当つる身のおとろひや海苔の砂 芭蕉 元禄4年作。初老を過ぎた者に共通の体験と心理を詠んだ作品。当時48歳の芭蕉は同年3月末まで故郷伊賀に逗留していた。海苔に混じっていた砂を噛み当てたときの何とも言えない嫌な感触を、衰老の嘆きに結び付けている。
衰ひや歯に喰ひ当てし海苔の砂 芭蕉 元禄5年刊行の車庸編『己が光』には、この形に推敲された。上五で「衰ひや」と老いの感慨を端的に表出した後、中七下五で歯の一瞬の感覚に集中した具象的イメージを提示した。
一声の江に横たふやほととぎす 芭蕉 元禄6年4月江戸での作。この句が作られた経緯については、同年4月29日付けの宮崎荊口宛て書簡に詳しく記されている。同年3月手許に預かっていた甥の桃印が肺病で病没し、悲嘆に暮れる芭蕉に、杉風、曾良ら門人が、「水辺のほととぎす」の題で句を作るよう勧めたという。別案に 郭公声や横たふ水の上 芭蕉 の句形もあった。いずれの句も、蘇東坡の「前赤壁賦」の「白露横江、水光接天」の詩句が下敷きになっている。芭蕉は句の優劣に迷って、門人らの判定を乞うた。そして沾徳から「・・「江」の字抜きて「水の上」とくつろげたる句の、にほひよろしきかたに思ひ付くべき」などの意見が出て、「郭公」の句の方に決まったという。
郭公声横たふや水の上 芭蕉 上掲の「郭公」の句を推敲した最終形がこの形で、『藤の実』に掲載された。「一声」と「郭公」の句形のいずれがよいかは意見が分かれるところで、私は、「一声の」の句の方が「郭公」の声の余韻が江に伸びやかに響くような気がするのであるが、いかがだろうか。
夏馬の遅行われを絵に見る心かな 芭蕉 天和3年夏甲州都留郡谷村の門人、谷村藩家老高山麋塒(たかやまびじ)邸に寄寓した折の歌仙の発句。天和2年12月の江戸大火により芭蕉庵が類焼したため、この時期芭蕉は甲斐郡内の門人宅に身を寄せていた。『俳諧一葉集』には、「甲斐の郡内といふ處に至る、途中の苦吟」との詞書が付されて 夏馬ぼくぼくわれを絵に見る心哉 芭蕉 の句形で掲載。初案の改案と思われる。のろのろ歩く様を表す「ぼくぼく」という擬態語は効果的だが、上五の「夏馬」は熟さない措辞だし、「心哉」の下五は自己を客観視する意図があらわに出過ぎている嫌いがある。
馬ぼくぼくわれを絵に見る夏野哉 芭蕉 最終形はこの句形になった。『水の友』には、画賛として、「笠着て馬に乗りたる坊主は、いづれの境より出でて、何をむさぼり歩くにや。この主の言へる、これは予が旅の姿を写せりとかや。さればこそ、三界流浪の桃尻、落ちて誤ちすることなかれ」との詞書が付されている。当初から画賛だったのではなく、自らを画中の人物として客観化する発想の作品であることが、画賛への転用を思いつかせたのだろう。「ぼくぼく」の擬態語を用いたことで、暑い野道をのろのろ歩く馬に揺られている旅中の芭蕉の姿が彷彿する。自己を客観視することで、旅中の苦しみを句作の糧に変えているともいえる。擬態語の表現効果について、認識を新たにする一句だ。
我富めり新年ふるき米五升 芭蕉 貞享元年新年の作。前年の冬入居した第二次芭蕉庵には、五升入りの瓢の米びつがあった。わずかな米の貯えを「富めり」とする逆説的表現で、貧を衒っている感じが露骨に表れている。改案の 似合わしや新年古き米五升 芭蕉 には、自嘲的な口吻がある。初案、改案とも、上五の主観を露に表出した措辞が、作者が言いたかった点なのだろうが、句の味わいを損なっていることは否めない。新年の句であればなおさらである。
春立つや新年ふるき米五升 芭蕉 最終的にはこの句形になった。貧の衒いや自嘲など作者の様々な情念は、立春を迎え、新年を迎えた晴れやかな思いに包み込まれた。その結果、物は乏しいながらも心豊かな芭蕉庵での暮らしの様が浮かび上がった。なお、この年の立春は旧年12月22日。
雪薄し白魚しろきこと一寸 芭蕉 貞享元年10月、『野ざらし紀行』の旅中、伊勢桑名の東郊、浜の地蔵堂での作。芭蕉は手ずから蛤を拾い、白魚を掬ったという。白魚は春の季語だが、この句の「白魚一寸」には冬の季感があろう。杜甫の詩句「白小群分命、天然二寸魚」を踏まえ、二寸よりさらに小さな幼魚を一寸と表現した。初案「雪薄し」はそのときの実景だったと思うが、雪の白と白魚の白とで印象が分裂している。
明けぼのや白魚しろきこと一寸 芭蕉 『笈日記』によれば、初案の「雪薄し」について、芭蕉は、「此五文字いと口おし」と言って「雪薄し」を「明ぼのや」に直した。当日雪が降っていた事実を省略し、白魚の白に焦点を当てた。あけぼのの薄明りの中で、白魚の鮮烈な白さが一読目に浮かんでくる。山本健吉はこの句を、紀行中の句の白眉といっている。句の焦点をどこに定め、何を省略するかについて、学ぶ点の多い推敲だ。