草木が枯れて見渡す限り寂しい景色となった冬の野原のこと。弱々しい日がとどき、ときには雨に濡れ、冷たい季節風が吹きわたる荒涼とした景であるが、やがて訪れる芽吹きの季節を待つ姿でもある。

草木が枯れて見渡す限り寂しい景色となった冬の野原のこと。弱々しい日がとどき、ときには雨に濡れ、冷たい季節風が吹きわたる荒涼とした景であるが、やがて訪れる芽吹きの季節を待つ姿でもある。

「神の旅」は旧暦10月に、全国の神々が出雲大社へ集まるために旅立つこと。男女の縁を結び給うために集まるとされる。出雲以外の国々では神が不在になるため、この月は「神無月」と呼ばれ、神々が集まる出雲では「神在月(かみありづき)」と呼ばれる。
掲句は、「あるき神」の旅の様子を思い浮かべての作品。歩き神は人々をそぞろ歩きや旅へと誘い出す神様のこと。「そぞろ神」などとも呼ばれる。普通の神々は龍蛇に乗って旅するとも言われているが、「あるき神」はその名のとおり、歩いて出雲に参集するのだろうと作者は想像した。空想に空想を重ねたような作品だが、「あるき神」という言葉のもつ諧謔味が活かされている。『俳句四季』2026年1月号。
「正月」は一般的には1月1日から7日までの松の内を指すが、地域によっては15日の小正月までを正月と呼ぶこともある。松飾を立て、鏡餅を飾り、雑煮を食べて一年の無病息災を願う。
掲句は、新年を迎えて改まったように見える人の顔を詠む。「大年(おおとし)」は大晦日こと。「大年」から一夜経て「正月」になる。人の顔は一晩で変わるものではないが、「正月」の風景の中で眺めると、自他を含め、誰もがいかにも「正月」らしい顔になっているのだ。単明な表現だが、単刀直入な「顔」のリフレインにこの句の味わいがある。『俳句四季』2026年1月号。

禅寺の銀杏の梢に止まって日の出を待つ鶫(つぐみ)。冬鳥として日本に渡来し寒さに強いはずの鶫だが、冷え込んだ冬の朝は、さすがに太陽が恋しいと見える。冬は、夜が明けてから朝日が木々や家々を照らすまで、多少の時間がかかる。
枝垂桜(しだれざくら)は、バラ科の落葉高木で、エドヒガンの園芸種。神社の境内や庭園などに植えられる。他の桜と同様、冬には紅葉が散り尽くして枯れた姿になる。枯れた姿にも、花どきの華やかさが思われる。
