涼新た弥勒の思惟の端にゐて

「涼新た」は、夏の暑さの中で感じる一時的な涼しさとは異なり、秋になって本格的に涼しくなったこと。涼しく過ごしやすい季節になったことを実感し、ほっと一息つく季節。「新涼」の傍題。

掲句は、とある近隣の禅寺の境内での作品。三重塔を囲むようにして十三仏の石像が据えられてあり、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の半跏思惟像もその中にあった。人々を救済する方法を思い巡らしているとされる半跏思惟像を眺めていると、ふと、その思惟の端にわが身がいるような錯覚を覚えた。極暑の夏もようやく去り、折りからの心地よい涼気の中で、ふと沸いた想念である。令和7年作。

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