「冴(さ)ゆ」は寒さが極まって、あらゆるものに透き通ったような冷たさを感じること 。闇、風、月、星などを「冴る夜」「冴る風」「冴る月」「冴る星」などと表現する。
掲句は、元禄七年(1694年)10月12日に大坂で客死した松尾芭蕉の亡骸を収めた柩(ひつぎ)が搬ばれる様を想像しての作品。秋の夜長に、文暁の『花屋日記』などを読んでいて、自ずから脳裡に浮かんだ一句だったと記憶している。木曽義仲に傾倒していた芭蕉は生前「骸は木曽塚に送るべし」との遺言を残していた。弟子たちはその遺言にしたがって、芭蕉の亡骸を川舟で伏見まで運び、義仲寺境内の木曽塚の隣に葬った。折から初冬の頃で、柩を搬ぶ川舟の上には夜ふけの星が冴えてまたたいていただろう。平成16年作。『春霙』所収。