過ぎ去ろうとする秋のこと。「行く春」と同様、移ろい行く季節を、旅人になぞらえて「行く」と形容しているのだが、「行く春」と違って寂寥感が色濃く表れており、秋を惜しむ気持ちが表出されている。美しく過ごしやすい季節を惜しむ思いがある。

過ぎ去ろうとする秋のこと。「行く春」と同様、移ろい行く季節を、旅人になぞらえて「行く」と形容しているのだが、「行く春」と違って寂寥感が色濃く表れており、秋を惜しむ気持ちが表出されている。美しく過ごしやすい季節を惜しむ思いがある。

「釣船草(つりふねそう)」は、全国の山麓の渓流などの8、9月に、紅紫色の花を咲かせる。帆掛け船を吊り下げたような花の形から、この名がある。花が黄色のキツリフネは近縁種。
掲句は「黄つりふね」が咲いている辺(あたり)を水が流れていく様を詠む。「滝口」は滝の落ち口のこと。近くに滝があり、轟轟ととどろいているのだが、水は何事もないかのように静かに「滝口」に近づいてゆく。滝となって落ちる前の束の間の静寂が辺りを支配している。淡々と表現しているが味わいのある一句。『俳壇』2025年11月号。

雨雲が南に去った朝、久し振りの朝日が茶の花の蘂を金色に染めた。白い花びらに包まれた黄色い蘂が仄かに覗く咲き始めの頃がいい。また、山茶花に似たその清潔な香りもいい。
茶の花は冬の季語になっているが、私の近在では9月下旬からちらほらと咲き始め、霜が本格的に降りるようになる12月中旬頃には花の見頃は終わる。歳時記と季物との間にズレを感じるものの一つ。狭山茶は、茶どころとしては北限に近いという事情もあるのかも知れない。
晩秋の頃周りの木々が紅葉したり、落葉したりしている中で、変わることなく美しい緑を保っている松のこと。秋色になり、枯色になっていく四囲の景色の中で、色を変えないでいる常緑樹の松を讃える意味合いがある。

「鹿」は偶蹄目シカ科の哺乳動物。草食性で反芻による消化を行う。牡と牝はほとんどの時期別々の群れで生活を営む。牡は枝分かれした角を持ち、秋の交尾期には、その角を打ち合って牝を奪い合う。
掲句は、振り向いて人間の動静を窺って立つ鹿を詠む。鹿にとってみれば、人は謎の動物だろう。その人が攻撃を加えてくるのか、ただ歩いて通り過ぎるだけなのか、餌をくれようとしているのかなど、鹿は人の心を読もうとする。その様を、鹿が「こころ読む目」をしていると詠んだ。表面的な写生よりも一歩踏み込んだ把握と言える。『俳壇』2025年11月号。