ヒマラヤ原産のモクセイ科ソケイ属の常緑低木。日本へは明治時代に渡来した。初夏に、ジャスミン(ソケイ)に似た形の黄色い花を咲かせることからこの名がある。庭木として栽培されるほか、生け花の花材としても利用される。花の香りはそれ程強くはない。なお、「ジャスミン」はモクセイ科ソケイ属の植物全体の総称で、「素馨(そけい)」「黄素馨」「茉莉花(まつりか)」はいずれもジャスミンの一種。手元の歳時記には「素馨」「ジャスミン」は「茉莉花」の傍題になっている。

ヒマラヤ原産のモクセイ科ソケイ属の常緑低木。日本へは明治時代に渡来した。初夏に、ジャスミン(ソケイ)に似た形の黄色い花を咲かせることからこの名がある。庭木として栽培されるほか、生け花の花材としても利用される。花の香りはそれ程強くはない。なお、「ジャスミン」はモクセイ科ソケイ属の植物全体の総称で、「素馨(そけい)」「黄素馨」「茉莉花(まつりか)」はいずれもジャスミンの一種。手元の歳時記には「素馨」「ジャスミン」は「茉莉花」の傍題になっている。

今回の旅の後半は、ヨーロッパアルプスを仰ぐ谷あいの町シャモニーに移る。正式な町の名はシャモニー・モンブラン。頭上に迫る氷河を観光資源とする氷河観光は18世紀に始まり、また、1786年のパカール、バルマによるモンブラン初登頂以来のアルピニズムの聖地。1924年の第1回冬季オリンピックの開催地でもある。私たちはプロヴァンスのホテルを朝出発し、中継地のグルノーブルで一泊した後、シャモニー近郊のセルボ村のホテルに落ち着いた。
セルボ村滞在3日目、シャモニーからロープウェイ(テレキャビン)に乗り、プランプラでゴンドラに乗り換えてブレヴァンで降車。標高2525メートル。

シャモニー市内のロープウェイ乗り場は、人種や肌の色に関わりなく、山好きの人たちが世界から集まっていた。といっても、モンブランを始めとして3~4千メートル級の山々が連なる南側に対して、こちら北側はブレヴァン山やフレジェール高原など2千メートル内外の標高でほとんど雪は残っていない。自ずから乗客の客層も違うのだろう。どの客もハイキング気分のリラックスした表情で語り合っていた。

上の写真は、ゴンドラの中から撮ったブレヴァン。到着したブレヴァンの展望台からは、シャモニー渓谷を隔ててボッソン氷河を望むことができた。この氷河は、ヨーロッパアルプスの最高峰のモンブランからシャモニー谷に面して流れ下っているとされるが、遠目には静止しているように見える。流速は1日当たり数センチから数十センチという。静に動を秘めていると言えるかも知れない。

ブレヴァンからプランプラまでのトレッキングコースは、ところどころに雪渓が融け残っているがれ場だが、要所要所に標識もあり、危なげなく辿ることができた。

下の写真はタマシャジン。ヨーロッパアルプスの高山植物の一つ。ブレヴァンからプランプラまで500メートルほどの標高差だったが、がれ場を下るにつれて、足元に咲いている花が、アルペンローゼ、岩桔梗、タマシャジンなどからコウリンタンポポ、ブロードリーフタイム、白玉草などへと変わっていった。高山植物一つ一つに、生存にもっとも適した標高があるのだろう。

ブレヴァンからプランプラまでのトレッキングから5日目、私たちはシャモニー市内からフレジェールへロープウェイで行き、そこからブランプラまで歩いた。多少のアップダウンがあるコースで、その間の距離は6~7キロメートル。フランス人たちがグラン・バルコン・シュドGrand Balcon Sud(南の大バルコニー)と呼んでいるコースの一部だという。バルコンは建物の外側に張り出したバルコニーのことだが、劇場の2階にある小さく仕切られた特別席を指す場合もある。このコースが、劇場の二階席から演劇を観るように、南に連なる名だたる山々を眺めながら歩くことができるというのだ。フランス人らしいウィットの利いた命名ではないだろうか。
下の写真はフレジェール(標高1877メートル)から撮ったエギーユ・デュ・ミディ。モンブラン山系の主峰の一つで、山の名には「正午の時計の針」という意味合いがある。シャモニーから見ると、正午に太陽がこの山の頂上に座ったように見えるところが山の名の由来という。

モンブラン山系の山々が、シャモニー渓谷をへだてて5日前とは異なる向きから眺められた。岩陰でキリギリスが鳴き、木陰が絶えたその先も、がれ場の道が続いた。

トレッキングコースから渓谷を見下ろすと、シャモニーの町の全景が広がり、ハンググライダーが下の方に見えた。適度の風が吹く晴れわたった日で、絶好のハンググライダー日和。
「車輪梅(しゃりんばい)」は日本や朝鮮半島原産のバラ科の常緑低木。主として暖地の海岸近くに自生するほか、街路樹や公園樹として利用される。5月頃に梅に似た白い五弁花を咲かせた後、秋に実をつけ、晩秋の頃黒紫色に熟れる。なお、歳時記には掲載されていない。

「月涼し」は暑さの厳しい夏の最中、夜空に輝く月に涼しさを感じること。また、そのような「夏の月」そのものを指す。「涼し」(夏季)という季語は、様々な言葉と組み合わせて使われることが多く、「月涼し」もその一つ。
掲句は温泉地の湯畑の周りで湯上がりの散策を楽しんでいる情景。湯畑は源泉を地表や木製の樋に掛け流し、温泉の成分である湯の花の採取や湯温の調節を行う施設のこと。 湧き出た湯は、湯樋を通して温度を下げ、その地の旅館などへ送られていく。湯上りの寛いだ気分で、折りからの月を振り仰ぐとき、昼の暑さを忘れさせてくれるような涼しさが五体を包む。同じように散策を楽しんでいる客の影もちらほら見えることだろう。『俳壇』2025年10月号。