「若葉」は常緑樹にも落葉樹にも使われるが、主に落葉樹の新葉のこと。初夏の光の中で、やわらかく瑞々しく戦ぐ。「朴若葉」などと樹種を冠して詠むことも多い。「櫨若葉(はぜわかば)」もその一つ。「櫨」はウルシ科ウルシ属の落葉小高木。東南アジアから東アジアの温暖な地域に自生する。秋の紅葉が知られるが、初夏の頃次々にほぐれてゆく新葉も美しい。

淡竹(はちく)の地下茎から出る新芽のこと。竹の新芽を総称して「筍(たけのこ)」といい夏の季語。筍は地中にあるうちにすべての節がつくられ、根本から順に伸び始める。竹の種類に応じて、孟宗竹(もうそうちく)、淡竹(はちく)、真竹(まだけ)などは、それぞれ「孟宗竹の子」、「淡竹の子」、「真竹の子」などという。これらは「筍」の傍題。

セザンヌが生まれ、生涯そこで過ごしたエクス・アン・プロヴァンスを訪れた。セザンヌが幾度となく描いたサント・ヴィクトワール山は、標高は千メートル余りのエクス近郊の石灰岩の山である。この山を描いたセザンヌの油彩画は44点、水彩画は43点に上るという。
町の北東にシュヴァリエ展望台と呼ばれる小高い丘がある。セザンヌがサント・ヴィクトワール山を描くとき立ったとされる場所の一つ。私たちが葡萄畑や住宅街で道に迷いながら、jardin de peintres(画家たちの庭)という標識を見つけ、その丘に立ち寄ったとき、既に真昼の強い日差しが頭上から照り付けていた。

暑さでやや霞んでいたが、絵で見た特徴的な山容が紛れもなく丘の上から望まれた。その日の暑さに参っていた私には、山肌の色の移ろいなどを時間をかけてじっくり観察する気力が残っていなかったのは、今から振り返ると残念だった。
セザンヌの生家は、エクス・アン・プロヴァンスの街中にあった。内部は一般公開されていないので、私たちはその外観を見て通った。セザンヌが、ゴッホやゴーギャンとは違い、銀行家の父からの仕送りにより経済的な困窮を経験することなく絵を描き続けることができたことは知っていたが、エクスの中心街近くのオペラ通り沿いに残されているその家は、そのことを改めて実感させるような3階建ての石造りの邸宅だった。セザンヌの画風に、どこにも切羽詰まった感じがないのは、そのような境遇も関わりがあるのかも知れない。

セザンヌはエクスで生まれ、エクスで生涯を過した画家である。だが、この度の旅行では、セザンヌの絵に触れる機会はほとんど無かった。地元のグラネ美術館や近隣の美術館に数点あるほか、セザンヌの多くの絵画はアメリカのフィラデルフィア美術館などの海外の美術館や個人コレクションに散逸してしまっているという。セザンヌが生前地元で評価されなかったことがその理由だろう。

市がセザンヌを称える銅像(上の写真)を街の中心のロトンド広場に立てたのは、画家が亡くなった1906年から半世紀ほど経過した1959年。セザンヌの絵に対する世界的評価の高まりが地元を動かしたのだという。私たちが立ち寄った時、ステッキとスケッチ帳を持ったその銅像は、プラタナスの木蔭の外れに灼けて立っていた。世間の評価に関わりなく、自然の奥にある色と形の普遍的な秩序を探り続けた彼の不屈の魂をそこに見る思いがした。

上の写真は、アビニョン市内のアングラドン美術館で目にすることができた唯一のセザンヌの油彩である。
薊(あざみ)はキク科アザミ属の総称。日本に自生している薊は150種ほどといわれる。トゲ状の縁の葉をつけ、堅い茎を持つ。春から秋にかけて紫色、ピンク、白の花を咲かせた後、タンポポのような絮(わた)を持った種をつける。単に「薊」といえば春季で、夏から秋にかけて咲く薊は、「夏薊」「秋薊」などとして詠まれる。「薊の絮」としては歳時記に掲載されていないが、「草の絮」一般が秋季であることから、秋の季語として詠めるように思う。

ヨーロッパ原産のセリ科の多年草。1990年代後半に、観賞用として日本に渡来したが、暑さに弱いため、日本では一年草として扱われる。初夏の頃、白いレースのような繊細な花を咲かせる。なお、歳時記には載っていない。
