南仏紀行(9)

雨の一日、シャモニーの街中を散策した。街中を流れるアルヴ川は灰色を帯びた乳白色に濁っていた。日本でも、春先の雪解けで川や海が濁り、「雪濁り」などという春の季語があるが、アルヴ川の濁りはモンブラン山群の氷河が解けて濁ったもので、氷河が岩盤を削りながらゆっくり流れることにより、岩が砕かれ、その細かい岩紛が水に溶け込むことによるものだという。

シャモニーは、1786年の医師パカールと地元の猟師バルマによるモンブラン初登頂、その翌年のスイスの博物学者ソシュールによる登頂を経て、アルピニズムの発祥地となった町。アルヴ川近くの町の中心部には、初登頂から100周年を記念して建てられたブロンズ像がある(下の写真)。モンブランを指さしているのがソシュール、指さす方向を見つめているのがバルマ。それぞれが、科学者の探求心と勇気・冒険心を象徴しているという。

なお、アルピニズムは、純粋に山に登ることだけを登山の目的とする趣味・嗜好のことで、ヨーロッパで生まれた考え方。日本のアルピニズムは、明治維新以降、日本へ来た外国人たちによって伝えられた。日本アルプスなどの命名も、そうした外国人の一人であった英国人宣教師ウェストンによるものであった。なお、スポーツとしての「登山」が夏の季語として定着したのも、それまで高山・霊山が修験道の修行の場であった日本に、アルピニズムの考え方が浸透したことと関わりがあるようだ。

下の写真は、モンタンヴェールまで登る登山電車。今回は色々な事情で乗車しなかったが、終点のモンタンヴェールからは、ヨーロッパ最大級の氷河メール・ド・グラスが眼前に広がり、氷河の下の洞窟を歩くことができるという。肝心の氷河が地球温暖化の影響で年々後退し、現地に行くには終点のモンタンヴェールからさらに相当の距離を登らなければならないなど、シャモニーの氷河観光にも黄信号が灯っているのが現状のようだ。

雨が上がると、それまで雲に隠れていた氷河の端が現れ始めた。町中や谷あいには、夏炉を焚いて暖を取っているのか、煙突から煙をあげている家があった。生憎の雨で人影は疎らだったが、町中の至るところに設えてあるテラスの卓と椅子が、晴れた日の賑わいを想像させた。


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