熱帯アメリカ原産のキク科の多年草。日本へは明治中期に伝わった。畑地、水田の畔、草地などに自生するほか、園芸では学名「アゲラタム」の名で流通している。夏から秋にかけて、茎先に散房花序を作り針形状の丸い小花を群がり咲かせる。花色は青紫、ピンク、白など。なお、歳時記には掲載されていない。

熱帯アメリカ原産のキク科の多年草。日本へは明治中期に伝わった。畑地、水田の畔、草地などに自生するほか、園芸では学名「アゲラタム」の名で流通している。夏から秋にかけて、茎先に散房花序を作り針形状の丸い小花を群がり咲かせる。花色は青紫、ピンク、白など。なお、歳時記には掲載されていない。

北米原産のキク科の一・二年草、又は多年草。明治時代の中頃日本に渡来。切り花、鉢花、花壇、グラウンドカバー等として利用される。暑さに強く、夏に黄色又は赤茶色の花を咲かせる。その一品種ルドベキア・ラシニアタは、オオハンゴンソウの和名をもつ。なお、歳時記には掲載されていない。

マティスが設計や装飾を手がけたロザリオ礼拝堂を訪れることは、今回の旅行の動機の一つだった。ヴァンスの旧市街からほど近いこの礼拝堂について、マティスは「これこそ私の生涯の傑作」と言ったという。行きずりに訪れた大聖堂などの絢爛豪華な印象とは対照的に、祈りの空間を作り出す簡素な線と色が印象に残った。その静謐な場は色と光の調和を求めたマティスの晩年の到達点なのだろう。

マティスが健康問題その他の事情からニースに移住したのは1917年、彼が48歳のときだった。ニース移住以降、明るく透明感のある色使いや地中海の光を色彩のヴェールとして描くようになるなど、マティスの画風は変化していった。今回南仏の風光に接して、認識を新たにしたのは、マティスの作品の中で使われる赤という色の意味合いについてである。最晩年の油彩『赤の大きな室内』や『マグノリアのある静物』で、マティスは静物の背景を赤で塗りつぶした。下の写真は、ニースのマティス美術館に展示されていた『マグノリアのある静物』。

赤を多用した作品は『赤のハーモニー』(1908年)『赤のアトリエ』(1911年)など初期作品から見られる。マティスについて、赤の魔術師と評した人もあったそうである。マティスの画風は、初期作品の鮮烈で大胆な赤の使用から、内面性をともなう深みのある赤へと変化したが、赤という色に対する好みは終生変わらなかった。

上の写真は、晩年のマティスが住んだホテル・レジーナの夾竹桃。夾竹桃は歳時記に掲載されているように、インド原産のキョウチクトウ科常緑低木。日本では工業地帯の緑地に植えられることが多く、毒性があるとか公害に強いといった印象があるだけで、これまでこの花に対して特段の魅力を感じたことはなかった。だが、旅行中ニースの街中や郊外の鷹の巣村などでこの花が燃えるような紅色を呈して咲き盛っているのを見て、この花に対する印象が変わってきた。そして、私の心の中でマティスの絵の中の赤の色遣いが、この花の鮮やかな紅色と重なった。
マティスがニースに移住した理由の中には、南仏の光と色彩の魅力があったとされるが、特にマティスを惹きつけたのは、この地に咲く夾竹桃やブーゲンビリヤなどの赤系統の花々ではなかったろうか。そう思わせる程、南仏で見かけた夾竹桃などの花色が鮮やかだった。

上の写真はサンポール・ド・ヴァンスのとあるアトリエの戸口を飾っていたブーゲンビリア。日本で見かける小ぶりの鉢植えと違って、南仏では野生に帰ったように伸び伸びと咲き盛っていた。ブーゲンビリアは南アフリカ等原産のオシロイバナ科ブーゲンビリア属に属する熱帯性の低木。歳時記には載っていないが、炎えるような夏の日差しを感じさせる花だ。
サバ科ソウダガツオ属の魚の総称。熱帯・亜熱帯の海の沖合から沿岸の表層部に分布する。「惣太鰹」とも表記する。日本近海に生息するのはマルソウダガツオとヒラソウダガツオ。背面は藍青色で、後半部に不規則な雲状紋がある。カツオよりも小さい。鰹節の代用品として使われれる。

箱型の木枠の内側に薄紙又は絹地を貼り、中に人や動物、草木などを切り抜いた筒をたて、中心に蝋燭を立てたもの。灯火の熱で上昇気流が生じ、切り抜きの筒が回転する。「回り灯籠」ともいう。周りの壁や天井を影絵が走る様に見え、涼しさを誘う。夏の娯楽的玩具として用いられてきたが、亡き人の霊を慰める意味でお盆の際に仏壇前に飾る風習がある地域もある。
