日本に数多くいるゴッホファンの一人として、かねてからゴッホが住んだアルルとはどんな町だろうかと、あれこれ想像を巡らせていた。ゴッホのアルル時代は1888年から89年にかけての一年余りに過ぎないが、この時期、『アルルの跳ね橋』『夜のカフェテラス』などの代表作が描かれ、画家としての色彩表現が確立した時期である。ゴッホがゴッホになった時期と言っていい。
今回の旅行で、そのアルルの町を訪れることができた。まず、ゴッホが入院していた療養所レスパス・ヴァン・ゴッホの中庭が復元されているので訪れた。ここは、ゴッホが療養生活を送り、中庭は『アルルの療養所の庭』と題する絵のモデルになっていることで知られるが、現在は図書館、店舗などが入った総合文化センターになっている。中庭の木立は濃い影を地上に落とし、耳を聾するばかりの蟬時雨の中を散策しながら、ゴッホが亡くなってから経過した130余年の歳月を思った。ここでも夾竹桃が真っ赤な花を咲かせていた。

ゴッホがアルル時代に住み、ゴーギャンと共同生活を送った家は、第二次世界大戦中の空爆等により損傷し、戦後まもなく解体されたため、現在では見ることができない。また、『夜のカフェテラス』のモデルになった近くのカフェも、現在は店を閉じてしまっている。だが、カフェの方はアルル中心部のフォーラム広場に面した一角に外形をとどめていて、往時の雰囲気を味わうことができた。

アルルからホテルへ帰る途中、『アルルの跳ね橋』のモデルになった橋が再建されていたので立ち寄った。当時、アルル中心部から2~3キロメートル離れたローヌ川支流のこの橋まで、ゴッホはイーゼルを背負って歩いたのだ。辺りは街の賑わいも人家もなく、ただただ原野や農園が広がっていた。中国人らしい観光客の一行が、スマホで記念撮影していた。

炎天の下、てくてくと通って跳ね橋を描き続けた当時のゴッホの姿を思い浮かべた。一つの画題を見つけるとそれに執着し絵を完成させるまで通い続けたゴッホの執念を改めて実感させるような、日の照りつける暑い日だった。

数日後、私たちは、耳切り事件を起こしたゴッホが、自らアルルでの生活に終止符を打ち、移ってきたサン・ポール・ド・モーゾ-ル修道院を訪れた。当時は精神病院としての機能もあり、ゴッホはその一室に住んで、窓から見える風景を題材に多くの作品を制作したという。当修道院でのゴッホの生活はほぼ一年間だった。

時には自分の部屋に隔離されることもあり、自由な外出もままならなかったゴッホが、窓から見える風景や中庭を画題にしながら、この時期、画家としての頂点を極めたことは、『星月夜』『糸杉』などの作品群を思い起こせば、紛れもない事実だろう。ゴッホが住んでいた部屋は、ベッドと椅子が置いてあるだけのごく狭い、簡素な部屋だった。窓からの景色は、ゴッホに、四季折々の変化やインスピレーションを提供したのだ。
なお、当修道院での療養生活の後、ゴッホはパリ郊外のオーヴェル・シュル・オワーズに移ったが、その後2カ月ほどで37年の生涯を閉じた。自らの炎で自らを焼き尽くしたような生涯だったと思う。