南仏紀行(2)

コートダジュールのやや内陸に位置するトゥレット・シュル・ルーを訪れたのは、ヴァンスのロザリオ礼拝堂を訪れた後だった。そこはスミレ村として知られる鷹の巣村の一つだが、訪れたときはスミレの花の時季を過ぎており、村内で売られているスミレのアイスクリーム、スミレの砂糖菓子、蜂蜜など、スミレに関する様々なお土産を眺めながら、咲き乱れる春先のスミレ畑を想像した。スミレのうち食用とされるのは主に花びらで、フランスではこの村に限らず、スミレ、バラなどの花びらを砂糖菓子の材料や料理に使う伝統があるようだ。

コートダジュールにおけるスミレ栽培の歴史は古代ローマ時代に遡り、観賞用や薬用として栽培されてきたという。ただ、トゥレット・シュル・ルーでスミレの栽培が盛んになったのは19世紀末頃からで、多くは香水の原料として栽培されていたが、その後栽培の難しさなどから生産量が激減し、現在は数軒の農家が栽培を続けているだけだという。しかし、今でもスミレ栽培やスミレを利用した菓子などが村の主要産業であることに変わりはない。因みに、栽培されているスミレは、日本の野原や路傍で普通に見かけるあの素朴なスミレではなく、ニオイスミレという香りの高い種類である。

家々をぬう迷路のような細い石畳を抜け、石のアーチを潜ると、いきなり眺望がひらけた。中世の名残をとどめる城壁も、外敵の侵入のない現在では、観光客に絶好の眺望を提供するスポットになっている。眼下には緑滴る山々の起伏がのぞまれ、その彼方にはコバルトブルーの地中海が微睡(まどろ)むように靄がかって眺められた。

今回の旅行では、スミレの花の時季は過ぎていたが、ラベンダーは花盛りだった。セナンク修道院の周辺やエクス・アン・プロヴァンスの郊外、宿泊したホテルの周りなど、至る所でラベンダー畑を見かけた。特に、ソー村は、ラベンダー畑の中に、というよりもラベンダーの香りの中に村があるという印象で、村内の石畳を歩いていても、周辺の畑のラベンダーの香りが風に乗ってきた。ソー村もやはり鷹の巣村の一つ。

下の写真は、ソー村の城壁の上から撮った一枚。遠く紫の絨毯のように見えるのがラベンダー。

プロヴァンス地方でのラベンダーの栽培の歴史は古く、スミレ同様、古代ギリシャ・ローマの時代にさかのぼる。古代では消毒、鎮静、虫除けとして、中世では薬草や治療目的で使われ、近世に入ってからは、主として天然香料の原料として注目されるようになってきた。いずれにしても、フランス人にとって、ラベンダーやそれを使った香料は単なる嗜好品というよりも、生活に密着し日々の生活を豊かにする自然の恵みになっているようだ。

旅行の途中、リヨンやニース、アビニョン、エクス・アン・プロヴァンスなどの都会の街中を歩く度に、行き過ぎる女性の放つ香水の香りがそれぞれ違うことに、日頃匂いに鈍感な私も気づかせられた。フランス人(特に女性)にとって、香りは一種のファッション、自己表現であり、コミュニケ―ションの手段でもあるようだ。それぞれの女性が自分の好みの香水の香りを纏って通り過ぎて行く。その匂いはラベンダーに限らず、ローズだったりジャスミンだったりベルガモットだったりするのだろうけれど・・・。日本では、香水をあからさまに匂わせて街を歩く女性は今でも少数派だ。

そこには、日本人とフランス人の香りを通した外界との接し方の違いが表れているようでもある。


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