新季語探訪(13)

「三月尽」は陰暦三月(弥生)が尽き果てること。「弥生尽」ともいう。陰暦で言えば三月は春の最後の月で、この季語には行く春を惜しむ気持ちがこめられている。「暮の春」「行く春」「春惜しむ」「夏近し」などと並んで、春の終りの頃の感懐が託されている言葉。

しかし、陽暦が定着した今、三月に晩春の季感を感じる人はほとんどいないだろう。陽暦では三月は春の最後の月でないから、「三月尽」には惜春の感慨はないのだ。新たに「四月尽」という言葉も試みられていて、歳時記の「三月尽」の項には「三月尽」「四月尽」いずれの例句も掲載されている。過渡期の様相と言っていいだろう。「四月尽」は「いまだ定着したとは言えない。」(長谷川櫂)との慎重な意見もあるが、どうだろうか。

手元の歳時記の例句には、                   四月尽兄弟門にあそびけり  敦                                        四月尽個室もっとも白きとき 龍太                          などの句が散見される。いずれも、惜春の思いがどことなく感じられる佳品である。「四月尽」は、「春惜しむ」のように感情を流露させることなく、キッパリと惜春の思いを形にするのに便利な季語である。

明治6年に太陽暦が採用されてかなりの月日が経過した今、「三月尽」から行く春を惜しむ思いを汲み取ることは困難になっている。現行の歳時記では「三月尽」が主季語になっているが、今後は「四月尽」を主たる季語と取り扱うのがよいように思うが、どうだろうか。                   


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