二十四節気の一つで、陽暦では3月5日頃。この日から春分(3月21日頃)の前日までの期間を指すこともある。「啓」は「ひらく」、「蟄」は「土の中で冬ごもりしている虫」の意で、地中の蟻、地虫、蛙、蛇などが動き始め、外へ出て活動を開始する頃とされる。実際にこれらの生き物を目にするのは、少し先になってからである。

二十四節気の一つで、陽暦では3月5日頃。この日から春分(3月21日頃)の前日までの期間を指すこともある。「啓」は「ひらく」、「蟄」は「土の中で冬ごもりしている虫」の意で、地中の蟻、地虫、蛙、蛇などが動き始め、外へ出て活動を開始する頃とされる。実際にこれらの生き物を目にするのは、少し先になってからである。

「木の葉」は、冬、地面に落ちてしまった葉、あるいは梢にわずかに残っている枯葉をいう。
掲句は木の葉が頻りに降りかかる初冬の櫟林の道を歩いていての一句。〈吊橋や百歩の宙の秋の風 秋櫻子〉など「十歩」「百歩」を用いた句があるが、歩きながら何かを思ったり考えたりするには「百歩」くらいの距離が要るのではないだろうか。初冬の心地よい冷気の中、ほとんど無心の状態で歩きながら、そんなことを頭に浮かべていた。令和6年作。
雛祭に食べるちらし寿司・蛤の吸い物などをいう。ちらし寿司にはエビやレンコンなど縁起のよい食材を用い、長寿や幸福を祈願する。平安時代にお祝いの席で食べられていたなれ鮨が原形と言われる。「雛祭」の傍題。

「息白し」は冬の朝晩などに、大気が冷えて人や動物の吐く息が白く見えること。
掲句は冬の凛冽たる大気の中で、作者と言葉を交わしている人を詠んだ作品。話すたびに口から洩れる息が白々と見える。だが、寒気の中で作者に向かって発せられたその人の言葉が、心にひびく暖かい言葉だった。「あたたかき」といっても客観的な温度のことではなく、この句の場合は心理的な暖かさを言っていることは言うまでもない。「なれども」の措辞にやや理が覗いているところが難点だが、それほど気にすることはないだろう。『俳句』2025年3月号。