咲き盛る花の下や傍らに花見の宴席を設けるために用いる筵のこと。宴席そのものをもいう。また、花の散り敷いたさまを筵に見立てていう場合もある。「花見」の関連季語。

咲き盛る花の下や傍らに花見の宴席を設けるために用いる筵のこと。宴席そのものをもいう。また、花の散り敷いたさまを筵に見立てていう場合もある。「花見」の関連季語。

「雨水」は二十四節気のひとつ。立春の後15日で、2月20日頃。降る雪が雨へと変わり、山に積もった雪もゆっくりと解け出して田畑を潤す。草木の芽生えが始まり農耕の備えを始める目安でもある。
掲句は「雨水」の夜、自らの指先の瑞々しさに季節の推移を感じ取っての作品。「雨水」といっても相変わらず朝晩の寒さは厳しく、季節の歩みはごくゆっくりなのだが、夜、ふと目をとめた指先に、冬の頃とは違う潤いを感じたのだ。「雨水とて」の上五が、日常の一日一日を丁寧に過ごそうとする作者の心ばえが見える。『俳句』2025年4月号。
桜の咲く頃の意。桜に限らず、春の花の咲く頃を総称していうこともある。春に咲く花は数多いが、花といえば、日本の詩歌、特に俳句においては、桜をさす。「桜時」「花のころ」ともいう。

「桜蘂(さくらしべ)降る」は花が散り終わったあと、桜の蘂が降ること。花どきの華やぎが過ぎた後の、心がしんみりと落ち着くひと時である。
掲句は、「桜蘂」が戸外に静かに降る夜、ひとり検案書を記しているとの句意。検案書は死体検案書のことで、死因や死亡時刻などを医学的に証明するために医師が作成する書類。それを記すことは医師として重要な職務で私情の入り込む余地はないだろう。人の死を証する書類を記しながら、意識の端で、今頃は戸外で桜蘂が音もなく降っているだろうと思っているのだ。淡々とした表情の作品だが、人の死に関わる職業人としての厳粛な思いが伝わってくる。『俳句』2025年4月号。
石楠花(しゃくなげ)は北半球原産のツツジ科の常緑低木。初夏の頃、茎の先端に優雅で柔らかな花をつける。日本やアジアなどの高山地帯に自生するほか、観賞用に庭園などに植えられる。春になると芽がゆっくりとふくらんでくる。
