草木は枯れを極めて、淋しく静かな山中をどこまでも延びる山路。「山眠る」という季語があるように、枯れ尽くした山は、時折風が吹き抜けるほかはひっそりとしている。どこかでキツツキが木を叩く乾いた音がする。葉をとどめない梢には底抜けに碧い空が覗く。一方、日本海側の深い雪に包まれた山や雪を被った高山には、「冬山路」といっても、これとは全く別の趣があるだろう。「冬の山」の傍題。

草木は枯れを極めて、淋しく静かな山中をどこまでも延びる山路。「山眠る」という季語があるように、枯れ尽くした山は、時折風が吹き抜けるほかはひっそりとしている。どこかでキツツキが木を叩く乾いた音がする。葉をとどめない梢には底抜けに碧い空が覗く。一方、日本海側の深い雪に包まれた山や雪を被った高山には、「冬山路」といっても、これとは全く別の趣があるだろう。「冬の山」の傍題。

よく晴れた冬の穏やかなひと日。冬の間にも、よく晴れて穏やかな暖かい日が続くことがある。「冬晴」はそのような日の晴天をいい、「冬麗(ふゆうらら、とうれい)」はその晴天を春の麗らかさにたとえたもの。曇りや雪の日が多い日本海側では貴重な一日である。「小春日」が11月頃訪れる晴天のひと日であるのに対し「冬日和」は冬が深まる頃の晴れわたったひと日のこと。

「豌豆(えんどう)」は、大根、蕪、牛蒡、蚕豆などとともに秋まき野菜のひとつ。その年のうちに収穫する大根等を除き、秋まき野菜の多くは翌年の春から夏にかけて収穫期を迎える。豌豆は、寒冷地を除き、9月から10月に種を蒔き、10月下旬に植え替える。

春の到来を待ち望むこと。長く厳しい冬がようやく寒さの峠を越して、寒い中にも時折春の訪れを感じる頃、新しい季節を待つ気持ちが強まる。特に暗く鬱陶しい冬を耐えてきた雪国の人々にとって、春を待つ思いは切実だ。1月の中旬にもなると、日脚の伸びが実感できるようになり、旅行の計画を立てたり、春服を用意したりする。


「雪」は気象現象としては、大気中の水蒸気から生成される氷の結晶が空から落下してくるもの。月・花とともに古くから日本の伝統的な美のひとつとして意識されてきた。他方で、雪は人々の生活に制約を加え、支障となるものでもある。
掲句は夜もすがら降り続ける雪の音に焦点を絞っての作。灯を消した後、それまで気づかなかった雪の降りつむ音がさだかに聞こえてきたという。闇の中では視覚に替わって聴覚が冴えてくるというのは、人の五感の働きの不思議でもある。小止みなく降り続ける雪に対する作者の期待と不安が入り交じる。『俳句四季』2025年2月号。