新年の天地に満ちる清らかで厳かな気配のこと。めでたい気配が四方に漂う新春らしい気分を言う。新しい年を迎え、見馴れ聞き慣れた日常の風景の中にもどことなく瑞祥の気が感じられる。

新年の天地に満ちる清らかで厳かな気配のこと。めでたい気配が四方に漂う新春らしい気分を言う。新しい年を迎え、見馴れ聞き慣れた日常の風景の中にもどことなく瑞祥の気が感じられる。

「初売」(新年)の傍題。「初売」は新年初めての商いのことで、昔は元日は休んだが、今は元日の午前中から開店する店が多い。百貨店などではこの一年の繁盛を願い、「福袋」などを用意して客を呼び込む。年始の風物詩となっている。

秋の蟬生死草木と異ならず 龍太
「雲母」昭和63年9月号に発表された作品。
「秋の蟬」は立秋を過ぎて鳴く蝉のこと。8月中・下旬の頃の蝉の鳴き声にはまだまだ力強さがあるが、日が経つにつれて油蝉に替わって蜩や法師蝉が鳴き始め、秋も深まるにつれて数が減り、声も弱々しくなっていく。
掲句は蝉という生き物のもつ草木に近い在りようを「生死草木と異ならず」と表現した。蝉に、動物のもつ生々しさよりも、草木に近い印象を持っているのは、私だけではないだろう。例えば蟷螂に捕らえられて喰われるときの蝉は、自らの生死に無関心なあっけらかんとした姿で蟷螂に喰われてしまう。草木から栄養をもらい、草木の精のような存在としてこの世に短い生涯を送る。そのような蟬というものの本質を、この句は掴んでいるように思う。
句集には収められなかったが、発想の独自性という点で捨てがたい作品だ。既存の句集に収められている 碧空のひかりを収め秋の蟬 龍太 など4句と比べても、遜色ない出来と思われる。
12月31日のこと。「大三十日(おおみそか)」「大晦日(おおつごもり)」「大年(おおどし)」ともいう。元日を翌日にひかえた一年最後の一日であり、年越しそば、除夜の鐘、二年参り、晦日祓いなど様々な伝統行事や習わしがある。なお、「晦日」は月の第三十番目の日、転じて月の末日をいう。

イセエビ科の甲殻類。日本近海でとれる海老のなかでは最も大きく、特に伊勢湾で多く捕れる。漁は主に冬季に刺し網で行われる。 雄渾な姿で、茹でると真っ赤になるので、縁起ものとして正月の蓬莱飾り、鏡餅や御節料理に用いられる。「飾海老」は鏡餅や蓬莱飾りに添えて飾る海老のことで「伊勢海老」と同様新年の季語。
