欅や銀杏など、一般によく知られた落葉樹が葉を落としきって枯木になることを「名の木枯る」というが、それぞれの木の名前を冠して「欅枯る」などと言う場合が多い。桐の木はノウゼンカズラ科キリ属の落葉高木で、畑などで栽培されるほか山地にも自生する。初夏の頃紫色の筒状の花をつけ、秋に尖った卵形の実を結ぶ。冬には葉を落として枯木の状態になる。なお、「桐の花」は夏季、「桐の実」は秋季に分類されている。
下の写真は実をとどめたまま葉を落とした桐の木。

欅や銀杏など、一般によく知られた落葉樹が葉を落としきって枯木になることを「名の木枯る」というが、それぞれの木の名前を冠して「欅枯る」などと言う場合が多い。桐の木はノウゼンカズラ科キリ属の落葉高木で、畑などで栽培されるほか山地にも自生する。初夏の頃紫色の筒状の花をつけ、秋に尖った卵形の実を結ぶ。冬には葉を落として枯木の状態になる。なお、「桐の花」は夏季、「桐の実」は秋季に分類されている。
下の写真は実をとどめたまま葉を落とした桐の木。

冬の海鉄塊狂ひなく沈む 龍太
「俳句研究」平成4年1月号。句集『遅速』以降の作品。
「冬の海」は、寒風が吹き荒び、荒波が押し寄せて荒涼としている。太平洋側では、比較的凪いで陽光の眩しい日もあるが、沖合はうねりが大きく荒々しいことが多い。
掲句は暗くうねる「冬の海」に「鉄塊」が狂いなく沈んでゆくところを詠んだ。「鉄塊」は文字どおり鉄のかたまりだが、この句では、それが何であるかを問う必要はないだろう。不用になった金床や機械のようなものであっても、屑鉄のかたまりなどであっても構わない。それは兎も角、重量感のある「鉄塊」がクレーンに吊るされて、暗くうねる冬の海にゆっくりと真っ直ぐに沈んでいく。それはわずかな狂いもなく正確に所定の場所に沈められていくのだ。そして、沈められた鉄塊は、もう海面上に現れることはない。その非情さが「冬の海」の暗澹としたイメージを際立たせる。龍太の句としては異色の一句だ。
今年もあと何日と指を折って数えたくなるような、年末の数日のこと。過ぎつつある一年を省みる思いに、新年を迎える気忙しさや期待感が入り混じる。「師走」「年の暮」「年の内」「行く年」「年惜しむ」などの年末の季語の中で、比較的新しい季語。

寿貞尼は目細きひとか草の花 龍太
「雲母」平成4年1月号。句集『遅速』以後の作。
「草の花」は秋に咲く草々の花のこと。他の季節の花よりもしみじみとした地味な印象がある。
掲句は寿貞尼(じゅていに)の人となりを思い浮かべての作品。寿貞尼は芭蕉が愛した唯一の女性といわれる。 芭蕉と同じ伊賀の出身で、江戸に出た芭蕉を追って彼女も江戸に出てきた。元禄7年7月、故郷伊賀に滞在中の芭蕉は江戸で寿貞尼が死去したことを知る。その時の作〈数ならぬ身となおもひそ玉祭〉には芭蕉の真情があふれている。写真も肖像画も残っていないのだから、作者の想像による外はないのだが、「目細きひとか」の措辞には寿貞尼その人を彷彿させるリアリティがある。芭蕉その人を詠んだものではないが、円熟期の龍太の芭蕉への傾倒を示す作品だ。