「冬泉」には思索を誘うような独特の静けさがある。単に「泉」といえばその清涼感から夏の季語になっているが、冬の泉の澄み切った様には夏の泉にはない冴え冴えとしたものが感じられる。
掲句は澄み切った「冬泉」を見ていて眼の澄を覚えたとの句意。「澄みゆくまで佇てり」との措辞には、ゆったりとした時間の経過が感じられる。何事にも煩わされない、独り心の至福の時間である。『俳壇』2025年2月号。
「冬泉」には思索を誘うような独特の静けさがある。単に「泉」といえばその清涼感から夏の季語になっているが、冬の泉の澄み切った様には夏の泉にはない冴え冴えとしたものが感じられる。
掲句は澄み切った「冬泉」を見ていて眼の澄を覚えたとの句意。「澄みゆくまで佇てり」との措辞には、ゆったりとした時間の経過が感じられる。何事にも煩わされない、独り心の至福の時間である。『俳壇』2025年2月号。
「秋思」は秋になって、心に何かを感じたり思ったりをすること。春の「春愁」に対して、秋のもの思いが「秋思」。湿り気の少ない漠としたもの思いである。
掲句はひとすじの小さな流れに沿って櫟林の中を歩いたときの作品。傍らの流れや溜まった木の葉に目を遣りながら足を運ぶ。林を抜け出た後、その流れは柳瀬川に合流した。散歩の後になって、「秋思」という季語がその時の私の気持ちに相応しいことに思い至った。特定の愁いや悩みではなく、自らの齢や来し方行く末を巡るとりとめのない思いだった。「郭公」2025年1月号。
冬枯れの、寒々とした林のこと。「冬木立」ともいう。葉を落とし尽くした落葉樹が、常緑樹も交えながらひっそりと並び立つ。「冬木」「寒木」は葉を落とした一本の木だが、「寒林」は林の広がりと寒さを含む季語。カンリンという固いひびきが「冬木立」より厳しい寒さを感じさせる。

主に寝具などに用いる防寒用の厚地の織物。膝掛けにしたり、掛け布団の下に入れたりする。羊毛やラクダの毛で織ったものや、化繊、綿素材のものなどがあり、色や柄も豊富で、軽く暖かく肌触りのよいものが重宝されている。電気毛布も普及している。「ケット」ともいう。

早梅の空剛の嶺柔の山 龍太
「雲母」昭和61年2月号。句集未収録。
「早梅」は春を待たずに咲き出した梅のこと。春に先んじて咲く梅には、春を待つ心をそそられる。
掲句は、山住の人の春の到来を待ち望む心が表れている作品。身辺に咲いた二、三輪の「早梅」。背景はきっぱりとした青空が広がるが、山国であれば「剛の嶺柔の山」が空を狭め立つ。この措辞により、盆地を囲繞する甲斐の様々な山容が眼前する。
句集には収められていない。「剛の嶺柔の山」の措辞の滑らかさ、調子のよさが、却って句を底の浅いものにしていると考えたのではないかと思う。