秋はからっと晴れる日がある一方で、雨が降り続いて空気が湿っぽくなることもある。夏の蒸し暑さとは異なる、湿気に冷気が加わった感覚。日の暮れも早くなり陰鬱さが増す。

秋はからっと晴れる日がある一方で、雨が降り続いて空気が湿っぽくなることもある。夏の蒸し暑さとは異なる、湿気に冷気が加わった感覚。日の暮れも早くなり陰鬱さが増す。

「台風」は強風を伴う熱帯低気圧で秋の季語。台風の過ぎ去った後を「台風過」という。からりと晴れわたった秋の青空とともに、台風が地上に残して行った様々な爪痕をも想像させる言葉だ。
掲句は、台風が過ぎた朝、八国山(狭山丘陵東端)の麓の池の辺に立っている棕櫚を詠んだ作品。その古着のようにだらりと垂れ下がった葉が、夜中に吹き荒れた風の強さを物語っていた。春になって新しい葉が出るまで、棕櫚はその古着のような葉をまとってそこに立ち続けるのだろう。平成26年作。
秋になると大気が澄み、晴れわたった空が高く感じられること。「天高し」ともいう。中国唐代の杜審言の詩の一節「秋高くして塞馬肥ゆ」が元になって定着した季語。なお、杜審言は杜甫の祖父にあたる初唐の詩人。

キク科ヒヨドリバナ属の多年草。日本の在来種で、全国の山野の草地や林縁に自生する。8~10月に散房状に白又は淡紫色の頭状花を咲かせる。フジバカマに似ているが、葉がフジバカマのように三裂しないことから区別できる。秋、ヒヨドリが鳴く頃に開花することからこの名がある。別名「山蘭」。

「蚯蚓鳴く」は、秋の夜、実際には発音器官のないミミズが鳴いているとする浪漫的な季語。空想的な季語だが、秋の夜更け庭先などから聞こえてくるコオロギなどの声にミミズの声も交じっていると思うと、秋の夜長の情趣が増すようだ。
掲句の「偽書(ぎしょ)」は手元にある岩波文庫の「花屋日記」で、「芭蕉臨終記」との副題がついているように、元禄7年秋の松尾芭蕉の終焉の様が直弟子の日記という体裁をとって記されている一書。正岡子規はこの書を読んで感動の涙をこぼしたという。この書が贋物であることは今では誰もが知っていることで、岩波書店もそれを承知の上で文庫本の一冊にしたのだが、創作として読めば誠によく書けていて、私には秋の夜長を愉しむのにうってつけの一書だった。当時偽書であることを伏せて世に出した著者の心のうちをあれこれと想像して、「蚯蚓鳴く」という季語に思い至った。平成26年作。