風生庵のこと

先ごろ山中湖畔の風生庵を訪れる機会があった。湖畔周遊道路から少し雑木林に入ったところに、ひっそりとその庵はあった。建物は近くの古民家を移築改装したもので、富士北麓の典型的な農家のスタイルを伝えているという。早朝のことで、上ったばかりの雨の雫が木からぽたぽた落ちていた。富安風生といえば、

赤富士に露滂沱たる四辺かな 風生

の句が思い浮かぶ。昭和43年作。風生は当時83歳だった。晩夏から初秋にかけ、雲や霧の影響で富士の肌を朝日が赤く染め「赤富士」と呼ばれるが、風生のこの句によって季語(夏季)として定着するようになった。風生の長い句歴の中でも会心の一句だったろう。掲句は今では歳時記に「赤富士」の例句として載っているが、「赤富士」が季語として認められていなかった当時のことだから、作者は、「露」(秋季)の句としてこの句を作ったのだと思う。「滂沱(ぼうだ)」は水や雨が激しく流れ落ちるさまをいうが、この硬い漢語を柔軟に「露」の形容に用いたことが、句の格調をもたらしている。「赤富士」と「四辺」の遠近の対比も効いていて、富士を詠んだ多くの句の中でも屈指の作と思う。

風生と富士北麓とのかかわりは、地元の青年俳人グループが風生を訪ねて選句を頼んだ戦後間もない頃にさかのぼるという。これを機に風生は毎年夏、山中湖、河口湖を訪れ、富士を詠んだ作品を多数残した。私が訪れたときは開館前で、展示されている風生の色紙や短冊などを目にすることはできなかったが、近くに句碑もあって富士北麓に残した風生の足跡の一端を感じ取ることができた。


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