夏の夜

今年も暑い夏が巡ってきた。危険な暑さなので外出を控えるようになどと言われると、自ずからクーラーをつけたまま家に籠るようになる。こんな時に思い出されるのが、元禄時代の次の付け合いだ。付け合いとは、連句などで、すでに示されている句に対して、それに応じる句を付けること。

市中は物のひほひや夏の月   凡兆                                   あつしあつしと門々の声    芭蕉

『猿蓑』所収の芭蕉、去来、凡兆による三吟歌仙「市中は」の巻の出だしの部分。凡兆は当時京都に住んでいた。「市中(いちなか)」の発句は、夏の夜の街中の饐えたような雑多な匂いを描き出して、庶民生活の機微を捉えた。芭蕉の付け句は近隣の人々の「あつしあつし」との声に焦点を当てて、夏の夜の市井の情景に奥行きと臨場感を与えた。両人の呼吸がぴったり合った付け合いということができるだろう。

夜になっても昼の暑さが冷めやらぬので、クーラーも扇風機もない当時の人々は、門前で涼んだのだ。門々で「あつしあつし」と声が起こるのだから、夜になっても昼間の暑さの抜けない熱帯夜だったのだろう。門涼みをしながら、近隣の人たちの間で、様々な四方山話が交わされたであろうことが想像される。

今の生活ではどうだろう。熱帯夜ともなれば、誰もが冷房の効いた室内で過ごすので、帰宅を急ぐ人が時々道を行くばかりで、人影は疎らだ。そんな夜は、冷房の効いた部屋でひとり静かに過ごしながら、元禄の世の夏の人臭い市井の有様を懐かしく想像することにしている。


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