日本・東アジア原産のバラ科シャリンバイ属の常緑低木。東北地方南部以西の海岸近くに自生するほか、庭木や公園樹として植栽される。初夏の頃、白または淡紅色の五弁花(両性花)をつけ、秋に球形の果実が黒紫色に熟す。歳時記には掲載されていない。

俳句を作るときは、想像による場合は別として、通常は、〈対象を感受する〉→〈感受したものを表現する〉という過程を辿ることになる。即吟、嘱目詠のときは、このような過程を一瞬のうちに経るのに対し、題詠の場合は、日々の生活の中でこれまで感受し、蓄積してきた対象の様々なイメージを総動員して、一句の中にあるイメージを表現しようとするという違いはあるが、いずれの場合でも、感受→表現という過程を経ることには変わりがない。そして、表現に当たっては、五感の働きを表す「見る」、「聞く」、「嗅ぐ」などの措辞は、当然のこととして、省略されることが多い。人間の五感の中で最も精妙に発達した視覚の場合も、「見る」との措辞は多くの場合省かれる。
大寒の一戸もかくれなき故郷(昭和29年)
句集『童眸』所収。冬の最中の故郷を、後山と呼ばれる山廬の裏手の高みから見渡しての作だが、「見る」の語は省略されている。作者は、その印象を端的に「かくれなき」と表現した。定住の心が定まって間もない時期の若々しい意欲に満ちた作者の視線が故郷に注がれている。
一方、龍太の句には「見る」の語が明示的に用いられている場合もしばしばある。
手が見えて父が落葉の山歩く(昭和35年)
句集『麓の人』所収。「手が見えて」と敢えて明示的に表現して成功している作である。自句自解には、「明るい西日を受けた手だけが白々と見えた。くらい竹林のなかから、しばらくその姿を眺めただけで、私は家に引き返した。」とある。
上五でまず「手が見えて」と作者の視線の焦点を明示し、軽い切れを置いたことにより、一読、やや遠方を歩く父の手がまず目に浮かぶ。そしてズームアップされた「手」から「父」の全身へ、さらには「落葉の山」へと広がっていく作者の視線の自然な動きが表現される。その動きには、老境の父に対するさり気ない心遣いが表れており、読者は、知らず知らずのうちに、作者のこのような視線の動きを自らの視線としてこの句を読み、共感する。
大根を抱き碧空を見てゆけり(昭和41年)
『忘音』所収。この句で表現しているのは、大根を抱いて碧空を見上げつつゆく人(おそらくは作者)の、日常から暫くの間解き放たれ充足した独り心である。抱いている大根のずっしりとした重みが心の充足感を確かなものにしている。人がこれといった目的もなく空を見上げるのは、繁忙な日常の中で束の間訪れるしんとした無償のひと時だ。頭上には晩秋初冬の穏かな碧空が広がっている。
降る雪を見てまた戻る哺育室(昭和50年)
『涼夜』所収。降る雪を見に外に出て、その明るさや華やぎ、淋しさを胸に収めて、再び赤子の眠る哺育室に戻っていく。この句の「見て」の主体を作者に限定する必要はないだろう。赤子の母親などを想像することもできる。降る雪を見るというのは、取り立てて目的の無い無償の行為である。この句では、雪の降る情景を静的、客観的に描写するのではなくて、「降る雪を見て」と主体の動作として表わしたことにより、降る雪の中でその人が感じている静かな幸福感、充足感が感じられてくる。
とほい木のそよぎ見てゐし半夏生(昭和54年)
『今昔』所収。この句には、「札幌にて(三句)」との前書きがあり、「見る」の主体は旅中の作者である。「とほい木のそよぎ」と「半夏生」との取り合せであれば、自然詠の作ということになるが、「見てゐし」との措辞を挟んだことにより、読者は、この句から、「見る」主体の心情に思いを馳せることになる。その点は、前掲の「大根を」、「降る雪を」の作における「見る」と同じ働きをしている。
この句は旅吟であるが、
つばくろの甘語十字に雲の信濃(昭和28年)
などの龍太の初期の旅吟にみられるような旅心の昂揚ではなく、「とほい木のそよぎ」を見ていた作者の放心とも忘我ともつかない淡い心の揺らめきがある。「見てゐし」と過去形で表現したことも、旅中の淡々とした時の経過を感じさせる。
それとなくひとの見てゆく春の川(昭和63年)
冬深しふたたび海を見たるとき(平成1年)
遠くより人の見てゐる蜆採り(平成3年)
句集『遅速』所収。いずれの作品も淡彩の味わいの作である。
第一句は故郷にあっての日常詠、第二句、第三句は旅吟と思われるが、いずれの作においても「見る」の措辞により、見ている主体と見られる対象との関係、場合によってはさらに作者を加えた三者の間の淡い関わりが表現されている。
その関わりは、
狐を見てゐていつか狐に見られてをり 楸邨
のように、作者と見る対象との間の相互関係を濃密に切り取ったものではない。この楸邨の作には、対象から何かを掴み取ろうとする作者の探索的な眼差しが感じられるが、狐の方でも負けずに抜かりなく作者の一挙手一踏足を窺っているのだ。そこには、「見る」と言うプリミティブな行為を通じて、生き物同士が火花を散らす様が感じられる。
これに対して、前掲の龍太作には、「見る」主体と見られる対象、そして作者が、それぞれを尊重し合って一定の距離を保ちつつ共存する穏かな世界がある。互いに対象を遠くから見守っている気配がある。
このような龍太の視線の特色は、既に、前掲の初期作品
手が見えて父が落葉の山歩く(昭和35年)
に表れている。この句には、遠くから老父の動静を見守る優しい心遣いが窺えるのだが、前掲の諸作にも、対象を遠くから見守る眼差しがある。
例えば、第二句の「見る」主体は作者自身だが、その眼差しは、対象(海)から何かを掴み取ろうとするような切迫したものではない。その点は、前掲の「大寒の」の作において感じられる故郷に注がれる作者の意欲的な眼差しや、楸邨作における人間探求派的な眼差しとは対照的である。旅中の作者が何気なく「ふたたび」海に目を遣ったとき、その情景が、作者の心に微かなさざ波のように「冬深し」の感を起こさせた。この句で表現されているのは、海を見た作者の淡い心の揺らめきであってそれ以上ではない。旅吟と思われるが、作者の心の在りようは日常と変わらない。
春の山幼な蛇笏を見てゐたり(昭和60年)
古茶の木咲いてこの世を見てゐたり(昭和61年)
いずれも『遅速』拾遺の作である。これらの句においては、「見る」主体は「春の山」、「古茶の木」であり、擬人的な用法による作である。
第一句には、「生誕百年」との前書きがあり、蛇笏の幼年期にタイムスリップした作である。春を迎えた山の眼差しは、飽くまでも優しく「幼な蛇笏」の成長を見守っている。
第二句は、「古茶の木」の密やかに咲かせている花が、「この世」を見ているように感じられたとの句意である。この句には、
古茶の木散るさかりとてあらざりき 蛇笏
の面影があるが、蛇笏作が「古茶の木」の花の咲き様についての的確な把握に基づいているのに対し、龍太作は、古茶の木の花の印象を、擬人化により表現しようとしたものである。
いずれの作も「春の山」や「古茶の木」の眼差しは、前掲の
それとなくひとの見てゆく春の川(昭和63年)
などの作における眼差しと同様、対象に介入することなく、静かに遠くから見守っている。
以上の諸作にみられる対象に遠方から注がれる龍太の眼差しは、「雲母」終刊後亡くなるまでの15年間、甲斐の山中にあって、「白露」や俳壇の動向、世の中の趨勢を見守っていた眼差しを彷彿とさせる。その間俳句のことに決して口を挟まなかったが、蛇笏、龍太の末流に連なる私を含め、俳句にたずさわる者を遠くから静かに見守る龍太の眼差しを感じていたのは、私だけではないだろう。
蜜柑は広義には柑橘類の総称と捉えることができるが、狭義にはウンシュウミカンを示す場合が多い。ミカン科ミカン属の常緑小高木。現在、様々な品種が生み出され、関東から九州までの太平洋沿岸の暖地で栽培が進められている。初夏の頃、白い五弁の香り高い小花を咲かせ、黄橙色の実をつける。

五月初旬の新緑の頃にふる雨のことで、「夏の雨」の傍題。「青時雨」ともいう。夏に降る雨には「卯の花腐し」「梅雨」「五月雨」「夕立」「喜雨」などさまざまな言い方があるが、「緑雨」といえば、瑞々しい若葉に降り注ぐ雨が目に浮かぶ。

今年も暑い季節が到来した。暑さの最中に感ずる一抹の涼気は、夏負けして草臥れた身心には有難いものである。涼風の中で、身も心ものびのびとする。これは家にいても旅先にあっても同じだろう。
旅中にあっての涼しさを詠った句といえば、『奥の細道』所収の
涼しさを我宿にしてねまる也 芭蕉
の作が思い浮かぶ。同書の尾花沢の段には、「・・日比とゞめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。」とあって、この句が置かれている。当地で紅花問屋を営んでいた清風宅での手厚いもてなしに身も心もくつろいでいることが、「涼し」という季語の選択に表れている。
しかし、この「涼し」は、独り居の無心、気儘なくつろぎによるものではなく、芭蕉一行をくつろがせてくれている清風のもてなしに対する感謝の心を込めた挨拶であった。言い換えれば、この句の「涼しさ」は、初対面の人との風雅の交わりにおける「涼しさ」である。「今のはいかいは日頃に工夫を経て、席に望んで気先を以て吐くべし。」(去来抄)との芭蕉語録が残されているように、連句を巻く「席」、「隔心の会」は、俳諧師としての自らの力量が試される半ば公の場であった。
芭蕉は、主のもてなしに感謝しながらくつろいでいるのだが、俳諧師としての自分が主にとってどのような立場にあり、どのように振る舞うことが期待されているのかといったことを片時も忘れていない。
なお、この句の「ねまる」は、くつろぐという意味の尾花沢地方の方言で、芭蕉は、旅中耳にした当地の方言を早速詠み込んで一句に仕立てている。言葉に対する芭蕉の感度のよさを示す一例だろう。
さみだれを集て早し最上川 芭蕉
よく知られているように、この句の、大石田の高野一栄宅に滞在中の初案は、
さみだれを集て涼し最上川
だった。この句の「涼し」にも、一栄のもてなしに対する挨拶の心ばえがある。
朝露によごれて涼し瓜の泥 芭蕉
この句の「涼し」は、朝、畑から採ってきたばかりの泥のついた瓜の印象を即物的に捉えたもので、初案は「瓜の土」だったが、「泥」と推敲したと言われている。この推敲により、「涼し」に一層の臨場感が加わった。
しかし、去来の別墅落柿舎での作であることを念頭に置いて、改めてこの句を眺めると、この句の「涼し」には、「瓜の泥」の即物的な把握というだけではなく、上方への旅中にあって暫くのくつろぎの処を得た芭蕉の去来に対する挨拶の心ばえが見えてくる。加えて、そこに居合わせたであろう門弟たちへの親しみも込められている。
下々も下々下々の下国の凉しさよ 一茶
この句は、一茶が、三十余年の漂泊生活の後、郷里柏原に帰住した年(文化十年)の作である。「おく信濃に浴して」との前書きがある真蹟があるから、柏原近在の温泉宿に泊まったときの作だろう。下五「凉しさよ」に、紆余曲折はあったが曲りなりにも故郷柏原に帰ることができた作者の安堵感、至福感が表れている。少し想像を逞しくすれば、他の浴客が疎らな温泉宿の座敷に大の字に寝そべって、「下国」の主であるかのようにゆったりと気ままにくつろいでいる一茶の姿が彷彿とする。
この句には、前掲の芭蕉の作とは異なり、他者に対する挨拶の心ばえは無い。
風生と死の話して涼しさよ 虚子
亡くなる二年前の作。死をモティーフにして、これほど涼気の感じられる作品を私は知らない。虚子の数多の弟子たちのなかで、風生は、虚子の句のもつ軽やかさを最も確かに受け継いだ俳人だった。掲出句からは、心を許し合ったそうした師弟の間の、微醺を帯びてのくつろいだ会話が想像される。二人の外には人の気配はない。両者の話題が偶々死のことに及んだのだが、夜涼の中で、会話が滞ったり深刻になったりすることなく、それぞれが自分の思っているところをさらりと述べて、何事も無く別の話題に移っていった。
この句には、両者の交友の在りようとともに、虚子の自然観、死生観が自ずから滲み出ている。虚子にとって、死とは、殊更恐れたり拒んだりするものではなく、水が低い方へ流れるように、生きとし生けるものに自然に訪れるものだった。
この句は、人との交友の中での涼しさを詠んでいる点では、前掲の芭蕉作と共通しているが、芭蕉作のような半ば公の場(席)にあっての挨拶の心ばえはない。心を許し合った師弟を分け隔てなく涼気が包んでいる。
幼子のいつか手を曳き夜の秋 龍太
どの子にも涼しく風の吹く日かな 〃
いずれも涼気の中に子供が登場する作である。第一句で登場するのは日常傍らにいて、作者に馴染んでいる幼子(恐らくは作者の孫)であり、第二句で登場するのは校庭などで遊んでいる不特定多数の子供たちである。
第一句は、夜に入って心地よい涼風を肌に感じながら門前などで涼んでいる情景だろう。「いつか」との措辞は、この時の作者のゆったりとくつろいだ心の状態を示しており、同時に、作者と「幼子」の間柄も暗に示している。
前掲の
涼しさを我宿にしてねまる也 芭蕉
が、旅中、俳諧を通した交わりの中にあっての作であり、「ねまる」と言っても、絶えず、俳諧師としての己の立場を意識し、自己を客観視した上でのくつろぎであるのに対し、この句の、「いつか」傍らにいる幼子の手を曳いていたという無意識の動作は、その時、作者の心に余計な負担が掛かっておらず、無心に近い状態にあることを示している。
第二句で詠われているのは、戸外で日焼けして遊びまわっている子供たちであり、折からの涼風がこれらの子供たちに遍く吹きわたっている。この句の「どの子にも」との措辞には、眼前に遊んでいる子らに分け隔てなく注がれる作者の優しい眼差しを感じ取りたい。遊んでいる子らの傍らで、作者も、同じ涼風に吹かれて佇んでいる。
この句について、作者は、幼くして急死した次女の面影をダブらせているとの鑑賞も散見する。夭折した次女の面影が作者の胸中から消えることがないとしても、この句から感じられる幸福感からみて、鑑賞に当たって次女の夭折ということを過度に強調する必要は無いだろう。
涼しさに鳥が深山の声を出す 龍太
この句からどのような鳥を想像するかは読者の自由だが、私は勝手に鵯を想像しながらこの句を読んでいる。鵯はどこにでも見掛ける留鳥で、その甲高い鳴き声を間近で聞くときなどは、涼しさよりもむしろ暑苦しささえ覚えるのだが、朝夕の涼気の中で気持ち良さそうに鳴く鵯の声には、決して美声ではないが、「深山の声」と形容するに相応しい爽涼の気がある。作者も鳥と同じ涼気の中に身も心も溶け込ませている。
炎天を槍のごとくに涼気すぐ 蛇笏
この句から感じられるのは、「相手をきッと見て仕留めよう」(飯田龍太)というように、五感を研ぎ澄ませて、炎天を見上げている作者の姿である。蛇笏にあっては、炎天を吹き過ぎる「涼気」さえも、五感で捉えて「仕留める」対象だった。「涼気」のなかに身心を溶け込ませてくつろいでいたら、掲出句のようにそれを形象化することは難しい。
この句からも分るように、蛇笏の詩情は自適のくつろぎから遠いところにある。
ゆかた着のとけたる帯を持ちしまま 蛇笏
蛇笏の句風は、「瞑想の風姿」(廣瀬直人)と評されることはあるが、くつろぎを感じさせる作品は、全作品に目を通してみてもほとんど見当たらない。
しかし、掲出句などは、くつろぎの状態にある作者(又はある人)の姿が彷彿とする数少ない作例だろう。省略が効いた確かなデッサンであり、読者は、情景を自由に想像しながらこの句を読むことになる。作者(又はある人)の放心とも無心ともつかない心の状態が、「とけたる帯をもちしまま」とのいうさりげない動作から窺え、そこには夜涼の気配がただよっている。
言葉待ちつつ涼しさの中にゐる 直人
この句には「北海道雲母の会(三句)」との前書きがあり、定山渓で開催された「雲母」の全国大会に出席したときの作である。
涼しくてときに羆の話など 龍太
も、同じ旅中の涼気の中にあって生まれた作である。
掲出の直人作においては、俳友との交友の中で作者が感じている「涼しさ」が詠われており、その点は、前掲の芭蕉や虚子の句と共通している。虚子の句では、風生との会話を包み込んでいる「涼しさ」が詠われているのだが、掲出の直人作品には、作者の会話の相手について、特定の誰というような限定はなく、また、交わしつつある話の中身も一切省略されている。相手から返される言葉を待っている作者もその人も、同じ「涼しさ」の中に居る。省略を極めた作品だが、作者とその人との交友の在り様が鮮やかに浮かび上がってくる。