蛍は甲虫目ホタル科の昆虫。夏の宵、水辺の闇を明滅しながら飛ぶ。夜の蛍の光の明滅を愉しむ蛍狩りは夏の風物詩。
掲句は、蛍狩りから家に帰ってきたところを想定したい。蛍の飛ぶ闇から家の明かりの中に戻ったとき、自らの「くるぶし」をほのかに青いと感じたという。蛍の匂いや蛍火の明滅の残像が、「くるぶし」に青く残っているのかも知れない。蛍が出る頃の潤いのある夜の情感を自らの身体の一点の感覚に集約したところが鋭い。『俳壇』2024年6月号。
蛍は甲虫目ホタル科の昆虫。夏の宵、水辺の闇を明滅しながら飛ぶ。夜の蛍の光の明滅を愉しむ蛍狩りは夏の風物詩。
掲句は、蛍狩りから家に帰ってきたところを想定したい。蛍の飛ぶ闇から家の明かりの中に戻ったとき、自らの「くるぶし」をほのかに青いと感じたという。蛍の匂いや蛍火の明滅の残像が、「くるぶし」に青く残っているのかも知れない。蛍が出る頃の潤いのある夜の情感を自らの身体の一点の感覚に集約したところが鋭い。『俳壇』2024年6月号。
榧(かや)はイチイ科の常緑高木。本州、四国、九州の山地に自生するほか、神社や庭園に植えられる。晩春の頃、雌雄異株に花をつける。雄花は淡黄色の楕円形、雌花は緑色で目立たない。材は堅くて碁盤などをつくる。

五月の第二日曜日。A・ジャービスの提唱により、母の愛に感謝を捧げる日として、1908年にアメリカで始まり、日本には大正初期に導入された。一般に普及したのは戦後。母への敬愛と感謝を念を表し、贈り物などをする。母が存命の人は赤いカーネーションの花を贈ることが一般的。

まず、蕪村の発句についてみてみたい。
身にしむやなき妻のくしを閨に踏 蕪村
「身に入む」は、中秋から晩秋にかけて秋の気配を身にしみとおるように感じることで、肌で感じ取る秋の気配に心理的な陰翳が加わった季語である。下五中七の「くし」、「閨」などの道具立てが、季語「身に入む」のもつ心理的な陰翳をよく活かしている。この句は虚構の作で、蕪村の妻ともは当時健在だった。国文学者尾形仂はこの句の虚構について、蕪村の詩的想像力によって俳諧の世界を豊かに広げたもので、「写生中心主義の下でマンネリ化の危機に直面する現代俳句の行き詰まりを打開する上に、大きな示唆を呈示している」と積極的に評価した。しかし、実作者として改めてこの句に目を凝らしてみると、道具立てが揃い過ぎていて、何やら精巧な作り物という感じが無くもない。元禄七年、寿貞尼が江戸の芭蕉庵で亡くなったと聞いたときの芭蕉の作
数ならぬ身とな思ひそ魂祭り 芭蕉
のもつ、作者の溢れ出る真情のもつ迫力とは比べるべくもない。掲出句以外にも、蕪村には虚構の作品が多くある。
御手討の夫婦なりしを更衣 蕪村
公達に狐化たり宵の春 〃
行春や撰者をうらむ哥の主 〃
これらはそれぞれ巧みに小説的趣向を取り入れて季題の情趣を活かしており、明治以降子規や虚子の句作に大きな影響を与えたことは周知のとおりである。
短夜やわりなくなじむ子傾城 子規
大雪になるや夜討も遂に来ず 〃
内閣を辞して薩摩に昼寝哉 〃
これらの作は、蕪村の句に触発されたものと思われ、一読面白味が分る句だが、第一級の作とは言えないだろう。
前述のように、蕪村には小説的趣向を取り入れた虚構による作が多くあるが、今の我々からみると、蕪村の本領は、故郷喪失者として心の故郷に対する追懐を詠んだ次のような諸作であることは論を俟たない。
遅き日のつもりて遠き昔かな 蕪村
愁ひつつ丘に登れば花茨 〃
凧きのふの空の有りどころ 〃
これらの諸作において、蕪村は最も蕪村的であり、心の深いところから表出された詠嘆を感じ取ることができる。