俳句と虚構(2)

 飯田龍太は、俳句に虚構を持ち込まなかった。『女性のための俳句教室』は、婦人公論の俳句欄の選後評をまとめたものだが、そこに次のように書いている。

・作品が単なる想像によるものだとすると、「一種のこしらえもので、何年か経つと忘れ去ることになります。」

・「頭の中でこしらえた俳句は、いわばビニールハウス栽培のようなもの」

・「俳句はこころの日記だといわれます。日記は正直に記してこそ、日記の意味があるわけですから。」

  そして、後述するように、龍太は、自らの実作においても、事実や経験或いは「感じたこと」に基づかない虚構の句を作らなかった。

  龍太が作句に当たり事実や経験を重視した背景には、蕪村その他先人の小説的趣向や虚構による作品の中には、真に上乗の作が見当たらないとの作品評価における見極めがあったと思われる。

  例えば、

身にしむやなき妻のくしを閨に踏     蕪村

数ならぬ身とな思ひそ魂祭り          芭蕉

の優劣についての、さらには、それは何によるものなのかについての見極めである。

 付け加えれば、龍太が俳人としての出発に当たって最も身近にあったのが蛇笏の戦後の作品だったと言うこと(当時、蛇笏は大正年代初期のような小説的趣向の俳句を作らなかった。)、そして、加藤楸邨、石田波郷ら人間探求派からの影響も考えられるだろう。

 それでは、龍太は、尾形仂が指摘している、現代の俳句が直面している写生中心主義の下でのマンネリ化の危機にどのように対応しようとしたのだろう。

 『自選自解飯田龍太句集』で、写生について、「感じたものを見たものにする表現の一方法」と柔軟な捉え方をしているのは、前述の尾形仂の指摘に対して、龍太自身の答えを用意したものと言える。事実や経験を重視すると言っても、龍太俳句における詠む対象は、五感で捉えたものに限定されないのだ。

草青む方へ亡き母亡き子連れ(昭和53年)

 この句が作られたとき、次女純子の逝去(昭和三十一年)及び母堂の逝去(同四十年)から相当の年数が経過していた。この句は、作者の胸中からこれらの亡くなった肉親の面影が消え去ることがなかったことを示している。この句に限らず、龍太俳句には、亡き人が登場する作や死後の世を詠った作が少なくない。

冬耕の兄がうしろの山通る(昭和41年)

同じ湯にしづみて寒の月明り( 〃 )

夕凍ての葱のにほひにうしろの世( 〃 )

 これらはいずれも母堂逝去の翌年の作であり、当時の作者が亡くなった肉親や死後の世界を身近に感じていたことが窺える。第一句の「兄」が亡くなった龍太の3人の兄たちのうち誰を指すかはともかく、在りし日の兄の面影を想起しての作と思われる。第二句は、寒中の月夜に亡母と同じ湯に入ったときの記憶を甦らせての作である。 第三句の「うしろの世」は死後の世界のことと思われ、夕凍ての葱の匂いに死後の世界を結び付けたところに、この時期の龍太が死後の世界に親しみを感じていたことを窺わせる。いずれも、作者が身近に感じている死者や死後の世界を見えるものとして表現しようとする志向が感じられる。

龍の玉升さんと呼ぶ虚子のこゑ(昭和59年)

  明治時代の子規、虚子存命中の両者の交友に思いを馳せた作である。龍太自身が両者の交友に立ち会っている訳ではないので、この句は龍太の数少ない虚構の作と言ってもいいが、この句が「虚子のこゑ」と聴覚に焦点を絞っている点に注意するなら、明治における子規、虚子らの交友の在りように対して作者が抱いている懐かしい思いが、「こゑ」となって作者の心耳に届いたのだと思われる。

  なお、この句を、子規の臨終の場面を詠んだものと鑑賞する向きがあるが、そのような切羽詰まった場面を想定しては、龍の玉の深々とした瑠璃色が見えてこないことに留意したい。子規、虚子らは常日頃から升さん、清さんなどと幼名で呼び合っていたので、この句も、彼らの日常の一場面を切り取ったものだろう。

満月に浮かれ出でしは山ざくら(昭和60年)

 折からの満月に山桜が人間のように浮かれ出ると言うことはあり得ないが、作者としてはあくまで眼前の(或いはかつて眺めた)山桜から感受した生き生きとしたその姿を表現しようとしたものだろう。感受した内容を見える表現にしようとしたとき、自ずから、このような擬人化表現になったのだ。

闇よりも山大いなる晩夏かな(昭和60年)

 客観的な事実としては、山々を包み込んでいる闇よりも山の方が大きいということはあり得ないが、作者が心理的に感じ取ったことを作品化したときこのような表現になった。

千里より一里が遠き春の闇(昭和63年)

の作も、人間が感じる心理的な距離の自在さ、不思議さを詠んだものである。

百千鳥黄泉の国より杉菜生え(昭和62年)

  「黄泉の国」を我々が実際に目にすることはないが、命が横溢する春たけなわの情景の中にあって、作者には「黄泉の国」の気配が確かに感じられたのだ。

 以上掲げた諸作は、「感じたものを見たものにする表現の一方法」との柔軟な写生論による実作が、つくりものの虚構によらなくても俳句に豊かな表現世界をもたらすことの例証となるだろう。

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