龍太と孤心(3)

 『忘音』に続く句集『春の道』以降の龍太俳句には、作者の「孤心」があらわに詠まれることは殆んどない。そのような個人的な境涯や心情の起伏より、作者を離れても通用する普遍性を志向しているように思われる。

  この点については、

冬耕の兄がうしろの山通る(昭和40年)

の自句自解の中で、「俳句は「私」に徹して「私」を超えた作品に高めるものだと思っている。」と書いていることが参考になる。

 こうした龍太における句風の変化をもたらしたのは故郷との和解であり、加えて、波郷など人間探求派と称される人々の作品と自らの志向の違いについての認識の深まりだったと思われる。

鶏鳴に追はれて消える春の星(昭和45年)

 この句は、鶏鳴と徐々に消えてゆく星の光りとの取り合せが、春の明け方のやわらかな情感を余さず表現しているのだが、作者自身は春暁の情景の中に溶け込んでいて、作品の鑑賞に当たって、作者の個人的な境涯にことさら触れる必要のない普遍的な句柄の作である。行きずりの旅行者ではなく、土着者の目が捉えた故郷の情景である。

沢蟹の寒暮を歩きゐる故郷(昭和46年)

水澄みて四方に関ある甲斐の国(昭和49年)

梅漬の種が真赤ぞ甲斐の冬(昭和52年)

など「故郷」、「甲斐」の語を用いた作には、作者の固有性の残滓があるものの、それはごく微かなものだろう。

 掲出の第一句で詠われているのは、境川村小黒坂の寒暮の一情景であるが、読者は、この句から、作者が故郷に対して感じている侘しさ、ともに故郷に生きている沢蟹に対して感じている共感やいとおしみなど、より普遍的な内容を読み取ることになる。

  第二句、第三句では、作者は、身辺のささやかな景物―谷川の水や漬梅―を通して、自らが定住土着している「甲斐の国」を褒め称えている。しかし、作者自身は「甲斐」の住人の一人としてその地に溶け込んでいる。

一月の川一月の谷の中(昭和44年)

炎天のかすみをのぼる山の鳥(昭和45年)

短日やこころ澄まねば山澄まず(昭和49年)

 第一句では、「一月の谷」の中を流れ続ける「一月の川」以外の景物は何も登場せず、独り心の露わな表出もない。しかし、表現を削りに削ったところに現出したこのひと気のない白々とした原風景には、作者の孤心が重ねられているようだ。

  第二句は、「炎天」の「かすみ」を捉え得た作者の自然観照の確かさを味わいたい作である。この2つの語を結び付けたとき、作品はほぼ完成していたと言っていい。「炎天」を衝いて上っていくこの「山の鳥」は、実景というよりも、作者の想念の産物であるように思われる。ただ一羽炎天を上っていくこの鳥の姿には、作者の孤心が重ねられている。

 第三句は、作者のこころの澄みと山の澄みとの密接な関わりを詠ったものであり、作者と自然との交感がモチーフになっている。自らの内面と故山との関わりを見詰め続けている作者の孤心が感じられる作品だ。

またもとのおのれにもどり夕焼中(平成4年)

 この句は、「雲母」終刊号に発表された諸作の中の一句であり、この句にも孤心への傾斜がある。仮の世を生きてきて「もとのおのれ」に戻った作者の周囲には、幼少の頃から馴染んだ村の情景が広がり、同郷の人々との交友もあって、龍太の孤心を和ませたのだと思う。

  この句を芭蕉及び蛇笏の次の作と比べてみたい。

此道や行人なしに秋の暮            芭蕉

誰彼もあらず一天自尊の秋           蛇笏

 第一句は、自らの人生の終幕を見通した上での晩年の孤独の意識から生まれた作である。この一本の道のほかに自分の行く道はないという感慨に、「秋の暮」の寂寥が重ねられている。一方、龍太の「またもとの」の作には、俳句を離れても己の居場所をもつ土着者としての心の余裕がある。第二句のひと気の無い秋天の澄みには、他の何物をも拒む厳しさと静かさがある。一方、前掲の龍太句においては、作者の孤心を夕焼けの温もりが包んでいる。

,

コメントを残す