「見る」ということ

俳句を作るときは、想像による場合は別として、通常は、〈対象を感受する〉→〈感受したものを表現する〉という過程を辿ることになる。即吟、嘱目詠のときは、このような過程を一瞬のうちに経るのに対し、題詠の場合は、日々の生活の中でこれまで感受し、蓄積してきた対象の様々なイメージを総動員して、一句の中にあるイメージを表現しようとするという違いはあるが、いずれの場合でも、感受→表現という過程を経ることには変わりがない。そして、表現に当たっては、五感の働きを表す「見る」、「聞く」、「嗅ぐ」などの措辞は、当然のこととして、省略されることが多い。人間の五感の中で最も精妙に発達した視覚の場合も、「見る」との措辞は多くの場合省かれる。

大寒の一戸もかくれなき故郷(昭和29年)

 句集『童眸』所収。冬の最中の故郷を、後山と呼ばれる山廬の裏手の高みから見渡しての作だが、「見る」の語は省略されている。作者は、その印象を端的に「かくれなき」と表現した。定住の心が定まって間もない時期の若々しい意欲に満ちた作者の視線が故郷に注がれている。

 一方、龍太の句には「見る」の語が明示的に用いられている場合もしばしばある。

手が見えて父が落葉の山歩く(昭和35年)

  句集『麓の人』所収。「手が見えて」と敢えて明示的に表現して成功している作である。自句自解には、「明るい西日を受けた手だけが白々と見えた。くらい竹林のなかから、しばらくその姿を眺めただけで、私は家に引き返した。」とある。

 上五でまず「手が見えて」と作者の視線の焦点を明示し、軽い切れを置いたことにより、一読、やや遠方を歩く父の手がまず目に浮かぶ。そしてズームアップされた「手」から「父」の全身へ、さらには「落葉の山」へと広がっていく作者の視線の自然な動きが表現される。その動きには、老境の父に対するさり気ない心遣いが表れており、読者は、知らず知らずのうちに、作者のこのような視線の動きを自らの視線としてこの句を読み、共感する。

大根を抱き碧空を見てゆけり(昭和41年)

  『忘音』所収。この句で表現しているのは、大根を抱いて碧空を見上げつつゆく人(おそらくは作者)の、日常から暫くの間解き放たれ充足した独り心である。抱いている大根のずっしりとした重みが心の充足感を確かなものにしている。人がこれといった目的もなく空を見上げるのは、繁忙な日常の中で束の間訪れるしんとした無償のひと時だ。頭上には晩秋初冬の穏かな碧空が広がっている。

降る雪を見てまた戻る哺育室(昭和50年)

 『涼夜』所収。降る雪を見に外に出て、その明るさや華やぎ、淋しさを胸に収めて、再び赤子の眠る哺育室に戻っていく。この句の「見て」の主体を作者に限定する必要はないだろう。赤子の母親などを想像することもできる。降る雪を見るというのは、取り立てて目的の無い無償の行為である。この句では、雪の降る情景を静的、客観的に描写するのではなくて、「降る雪を見て」と主体の動作として表わしたことにより、降る雪の中でその人が感じている静かな幸福感、充足感が感じられてくる。

とほい木のそよぎ見てゐし半夏生(昭和54年)

  『今昔』所収。この句には、「札幌にて(三句)」との前書きがあり、「見る」の主体は旅中の作者である。「とほい木のそよぎ」と「半夏生」との取り合せであれば、自然詠の作ということになるが、「見てゐし」との措辞を挟んだことにより、読者は、この句から、「見る」主体の心情に思いを馳せることになる。その点は、前掲の「大根を」、「降る雪を」の作における「見る」と同じ働きをしている。

 この句は旅吟であるが、

つばくろの甘語十字に雲の信濃(昭和28年)

などの龍太の初期の旅吟にみられるような旅心の昂揚ではなく、「とほい木のそよぎ」を見ていた作者の放心とも忘我ともつかない淡い心の揺らめきがある。「見てゐし」と過去形で表現したことも、旅中の淡々とした時の経過を感じさせる。

それとなくひとの見てゆく春の川(昭和63年)

冬深しふたたび海を見たるとき(平成1年)

遠くより人の見てゐる蜆採り(平成3年)

  句集『遅速』所収。いずれの作品も淡彩の味わいの作である。

 第一句は故郷にあっての日常詠、第二句、第三句は旅吟と思われるが、いずれの作においても「見る」の措辞により、見ている主体と見られる対象との関係、場合によってはさらに作者を加えた三者の間の淡い関わりが表現されている。

 その関わりは、

狐を見てゐていつか狐に見られてをり   楸邨

のように、作者と見る対象との間の相互関係を濃密に切り取ったものではない。この楸邨の作には、対象から何かを掴み取ろうとする作者の探索的な眼差しが感じられるが、狐の方でも負けずに抜かりなく作者の一挙手一踏足を窺っているのだ。そこには、「見る」と言うプリミティブな行為を通じて、生き物同士が火花を散らす様が感じられる。

 これに対して、前掲の龍太作には、「見る」主体と見られる対象、そして作者が、それぞれを尊重し合って一定の距離を保ちつつ共存する穏かな世界がある。互いに対象を遠くから見守っている気配がある。

  このような龍太の視線の特色は、既に、前掲の初期作品

手が見えて父が落葉の山歩く(昭和35年)

に表れている。この句には、遠くから老父の動静を見守る優しい心遣いが窺えるのだが、前掲の諸作にも、対象を遠くから見守る眼差しがある。

 例えば、第二句の「見る」主体は作者自身だが、その眼差しは、対象(海)から何かを掴み取ろうとするような切迫したものではない。その点は、前掲の「大寒の」の作において感じられる故郷に注がれる作者の意欲的な眼差しや、楸邨作における人間探求派的な眼差しとは対照的である。旅中の作者が何気なく「ふたたび」海に目を遣ったとき、その情景が、作者の心に微かなさざ波のように「冬深し」の感を起こさせた。この句で表現されているのは、海を見た作者の淡い心の揺らめきであってそれ以上ではない。旅吟と思われるが、作者の心の在りようは日常と変わらない。

春の山幼な蛇笏を見てゐたり(昭和60年)

古茶の木咲いてこの世を見てゐたり(昭和61年)

  いずれも『遅速』拾遺の作である。これらの句においては、「見る」主体は「春の山」、「古茶の木」であり、擬人的な用法による作である。

  第一句には、「生誕百年」との前書きがあり、蛇笏の幼年期にタイムスリップした作である。春を迎えた山の眼差しは、飽くまでも優しく「幼な蛇笏」の成長を見守っている。

 第二句は、「古茶の木」の密やかに咲かせている花が、「この世」を見ているように感じられたとの句意である。この句には、

古茶の木散るさかりとてあらざりき   蛇笏

の面影があるが、蛇笏作が「古茶の木」の花の咲き様についての的確な把握に基づいているのに対し、龍太作は、古茶の木の花の印象を、擬人化により表現しようとしたものである。

  いずれの作も「春の山」や「古茶の木」の眼差しは、前掲の

それとなくひとの見てゆく春の川(昭和63年)

などの作における眼差しと同様、対象に介入することなく、静かに遠くから見守っている。

 以上の諸作にみられる対象に遠方から注がれる龍太の眼差しは、「雲母」終刊後亡くなるまでの15年間、甲斐の山中にあって、「白露」や俳壇の動向、世の中の趨勢を見守っていた眼差しを彷彿とさせる。その間俳句のことに決して口を挟まなかったが、蛇笏、龍太の末流に連なる私を含め、俳句にたずさわる者を遠くから静かに見守る龍太の眼差しを感じていたのは、私だけではないだろう。

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