「こころ」を詠む(3)

本章の初めに掲出した龍太作に再び戻りたい。

こころいま世になきごとく涼みゐる(昭和60年)        星月夜こころ漂ふ藻のごとし(昭和61年)            元日のこころにはかに麩のごとし(平成2年)          夏夕べこころしばらく紺のまま(  〃  )             手鞠唄こころ浮世の宙にあり(昭和63年)

 第一句では、故郷にあって四囲の山川草木に溶け込んでいる自らの心の在りように、作者の俳人としての目が注がれている。この句の「世になきごとく」の比喩から、虚子が『俳句とはどんなものか』(大正2年)で述べた写生論の次の一節を思い起こすのは、私だけではないだろう。

「・・先ず人間の頭を小にして微弱なものとし、自然を大にして変化に富めるものとしてお考へになつて置くことを必要と存ずるのであります。」

 虚子と龍太には対世間的な身の処し方や句風など様々な面で違いがあるが、両者の自然との向き合い方、自然観、宇宙観には近いものがあるのだろう。

 第二句は、「壇ノ浦・早鞆の瀬戸(五句)」との前書きが付されている諸作の中の一句であり、当地を訪れたときの旅吟だが、この句には、旅吟とは思えない感触がある。旅中の作者は、

幼帝のいまはの笑みの薄紅葉(昭和61年)           身にしむや海の底ひの都まで( 〃 )

などの作があるように、関門海峡の潮流を目の当たりにして、源平合戦の昔に思いを馳せたのだろう。そして遥かな時の彼方に馳せた思いを、再び、旅中の作者自身の「こころ」に戻したとき、それが、漂う藻のごとく頼りないものに感じられた。季語「星月夜」には、そのような作者の心の揺らぎの跡が見える。

どこにありても南風は故郷の風(平成元年)

の作があるように、円熟期の龍太にとって、旅中においても家居の日常においても、心の在りようには変わりがないのだ。

  第三句の「麩のごとし」との比喩は、

良夜かな赤子の寝息麩のごとく(昭和55年)

でも用いられている。この句の「麩のごとく」は、ぐっすりと寝入っている赤子の寝息の健やかさ、柔らかさを過不足なく表現しており、「良夜」にあって、赤子の寝息に耳を澄ましている作者の幸福感が自ずから感じ取れる。

 これに対して掲出の第三句では、「麩のごとし」との比喩は元日の作者の心の在りようの表現になっている。年が明けて、年賀の客への応対など一家の主としてなすべきことがひと通り済んでしまうと、作者の身辺には「にはかに」静かなゆったりとした時間が流れ始める。そのようなくつろぎの状態にある作者の心の感触が「麩」に譬えられているのだ。

 元日の心の在りようを詠った作としては、

元日や手を洗ひをる夕ごころ        龍之介

がある。この龍之介作からは、元日の夕暮れ時の冷え冷えとした独り心の感触が伝わってくる。手を浸した水の冷たさが、どこか空虚な作者の心にひやりと触れてくるようだ。

 一方、龍太作には、年賀の客は帰ったとはいえまだ日暮には間があり、午後の穏かな日差しが作者の身辺に差している。龍之介の「夕ごころ」の冷え冷えとした感触と比べると、同じ独り心とは言え、龍太の「こころ」には雑事から解放されたくつろぎと余裕がある。

 第四句では、夏の夕べの「紺」に染まったままの「心」が詠われている。晴れきった夏の夕べの空は「紺」ひと色でまだ暮れる気配はなく、目を閉じても、心は空の「紺」に染まっているようだ。昨日と同じように今日も平穏に過ぎてゆく。初期作品に

紺絣春月重く出でしかな(昭和28年)

があるように、「紺」は、作者が幼少期に着た久留米絣の模様の色であり、幼時の思い出に繋がる至福の色だった。

 「紺」が龍太の好きな色だったことは、

露草も露のちからの花ひらく(昭和27年)

の作についての自句自解の次の一節からも窺える。

「紺という色は、すべて朝がいい。夕ぐれは、いち早く闇に消える。静かな落着きと、寡黙な品位と、あるいは素朴な力とを柔らかく調和した色のように思われる。」

 第五句は、前述のように句集『遅速』から漏れた作であり、一読、正月の諸行事が滞りなく済んだ静かな午後のひと時、庭先から聞こえてくる手鞠唄に、暫し浮世を離れた気分でくつろいでいる作者の姿が思い浮かぶ。第三句と同様、家居にあっての正月の心のくつろぎを詠んだものだが、「こころ」が「浮世の宙」にあるとの把握、表現には技巧の痕が露わであり、そこに危うさも孕んでいるようだ。自適のくつろぎにある自らの心の感触を表現しようとするとき、作者には、露わな技巧は作品の風合いを毀すものと感じられたのではないだろうか。

危きに遊ぶ目白の羽づかひ(昭和58年)

 句集『山の影』所収のこの句には、モノと言葉の間の危うい隙間に遊んで、その危うさを愉しんでいる趣きがある。『遅速』に収める作品の自選に当たり、作者が、この「危きに」の作と同系統の前掲の「手鞠唄」の作を句集に収めなかったところには、作者がこの時、自作のうち何を是とし何を非としたかの一端が窺えるように思う。

 以上、「こころ」を詠った円熟期の龍太の諸作をみてきた。いずれの作においても、作者は、自適のくつろぎの状態にある飾らない自らの心の感触を見えるように表現することに心を砕いているようだ。

 これらの諸作において、「こころ」は、「世になきごとく」涼んでいたり、「漂ふ藻」や「麩」に譬えられるものであったりする。円熟期の作者が表現しようとした自らの内面の世界が、指で触れば崩れそうな、頼りなく儚げな浮遊するものに譬えられていることは印象的で、人間存在そのものの頼りなさ、儚さをも感じさせる。

風吹いて身のうち濁る春夕べ(昭和63年)

闇よりも山大いなる晩夏かな(昭和60年)

千里より一里が遠き春の闇(昭和63年)

  これらは、前掲の「こころ」の諸作と同時期の作である。

 第一句の「身のうち」も、「こころ」と同様、通常五感では捉えることができないものである。風が吹いたとき、作者には「身のうち」が濁ったと感じられた。そこに、春の夕べの愁いとも懈怠ともつかない心の在りようが浮かび上がってくる。

 第二句についてみると、客観的な事実としては、山が、それを包んでいる闇よりも大きいということはあり得ないのだが、暮れ切って闇に沈んだ山の存在感をありありと感じた作者が、感じたことを見える表現にしようとしたとき、このような句になった。

  第三句についても同様のことが言える。「千里より一里が遠き」ということは、客観的、物理的な事実としてはあり得ないのだが、時には、人生の様々な場面で、心理的にそのように感じられることもあるものである。

 「こころ」、「身のうち」、「闇」などは、いずれも五感では捉え難い対象であり、円熟期の龍太に、五感では捉え難いが定かに感じられるものを表現しようとする志向があったことは確かだろう。そこには喜怒哀楽のつよい感情の表出はなく、また、前掲の西行の和歌にみられるように何かに「あくがれ」てもいない。   何の負荷も掛かっていないくつろぎの状態にある心が、前述のようにふわふわした頼りなげな相を呈していることは、根底に、作者が、自らの人間としての存在の淡さ、頼りなさを自覚していることを思わせる。そして、淡く頼りない存在である自らの「こころ」を愛惜する心情も窺える。

,

コメントを残す